藤原公季 ふじわらのきんすえ

天歴10年(956年)〜長元2年10月17日(1029年11月25日)


三条・西園寺・徳大寺の三家に分派する閑院流の祖。
康保4年(967年)元服し正五位下。
天元4年(981年)従三位、翌々年に参議。
長徳3年(997年)内大臣、寛仁元年(1017年)右大臣。
治安元年(1021年)には従一位・太政大臣になる。
没後に甲斐国に封じられ、贈正一位。
諡は仁義公。


閑院跡



閑院かんいん
(京都市中京区小川通二条下ル古城町)

藤原公季邸跡



(平成19年3月17日)

閑院址

ここから北西にあたる西洞院通、押小路通、油小路通、二条通に囲まれた地域は、平安時代から鎌倉時代初期にかけて藤原氏の邸があったところである。
当初は、藤原冬嗣の邸であったが、11世紀初期に藤原公季が伝領してから「閑院」と称した。
また、高倉天皇の時代(1161〜1181)大内裏だいだいりが甚しく荒廃したため閑院邸が里内裏さとだいり(臨時に設けられる皇居)として利用され、次いで後鳥羽天皇もここで皇位を承継するなど朝廷の中心となった所でもある。
以来、後深草天皇に至る9代90余年間里内裏となっていたが、正元元年(1259)5月に火災で焼失した。

閑院の南殿にて月前松を詠める
いまはまた世々をかさぬる庭の松
ふりてぞみゆる秋の夜の霜
〜順徳天皇〜

京都市

(説明板より)



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