蒲生君平像 平成20年7月19日

蒲生君平 がもう・くんぺい

明和5年(1768年)〜文化10年7月5日(1813年7月31日)

栃木県宇都宮市・市立東小学校でお会いしました。


姓は福田、のちに蒲生。
名は秀実、字は君臧、君平、通称は伊三郎。
修静庵と号する。
下野国生まれ。
同国鹿沼の鈴木石橋せつきょうに儒学を学んだのち、藤田幽谷ゆうこくと交わり、朱子学の名分論に基づいて尊王攘夷を説く。
海防をはじめ時世の改革論を唱え、諸国を歴遊。
代表的著書『山陵志』は山陵復興運動や尊王論の先駆となる。
「寛政の三奇人」の一人。


蒲生君平先生

蒲生君平先生
(宇都宮市東塙田1−6−14・市立東小学校)

奉祝 皇紀二千六百年記念
昭和15年11月10日
可贈者 宇都宮市大町 塚原久治郎
謹作 福田 昴


(平成20年7月19日)

郷土の偉人 蒲生君平先生

江戸時代後期(1768年)に生まれた宇都宮出身の学者である。
君平先生は、世に「寛政の三奇人」の一人と称せられ、又著書の中で「前方後円」という言葉を初めて使いました。
八幡山公園にある蒲生神社は、大正時代に君平先生の偉業(学問)を顕彰し、栃木県民あげての賛同を得て建てられたものです。
この蒲生君平像は、昭和15年塚原久治郎氏(大通り2丁目)が、子供5人が無事に東小学校を卒業した御礼に、学校にふさわしい人物をと考え寄贈したものです。

平成16年4月吉日

(銅像銘板より)


「寛政の三奇人」

蒲生君平、林子平高山彦九郎




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