平成20年10月27日
明治13年(1880年)〜昭和38年(1963年)
長野県長野市松代町・長国寺でお会いしました。
長谷川五作先生の像 (長野県長野市松代町・長国寺) (平成20年10月27日) |
碑文
長谷川先生は 明治13年埴科郡杭瀬下村田中家に生れ 松代町長谷川家の養嗣子となる
同36年長野県師範学校を卒業
17年間にわたり本県初等教育に尽し 大正8年文部省の中等教員検定試験に合格
愛知県 東京府等の中等教員を奉職
大正12年屋代中学校の生物教諭に迎えられ 昭和35年退職されるまでの32年間を郷里の子弟教育に努められた。
その間「えのきだけ」の人工栽培に着目され 苦心を重ねられた結果 昭和6年遂にビン詰による栽培法を考案され 以来これを教材に利用すると共に 町内の有志や青年に伝授してその普及を図り「えのきだけ」栽培の基礎を作り上げました
戦後になり中村氏の技術公開を期に長野県 県経済連合会等の指導奨励が功を奏して「えのきだけ」は長野県の特産品として発展してきているのです
先生は昭和38年 83才の長寿を全うされて逝去されたが このたび先生の恩恵に浴する関係者一同が相計って その先進地である松代町に先生顕彰の碑を建て感謝の念を捧げるものである
昭和42年3月17日
長谷川五作先生胸像建設委員会
メンデルの法則 |
長谷川五作は、明治36(1903)年に長野県師範学校(現信州大学教育学部)を卒業後、教師となって県下の初等教育に尽くしたが、その間に蚕による実験で「メンデルの法則」を実証する一方、信濃教育会の理科教科書編集委員となって世界で初めて、遺伝の法則を教科書に教材として掲載した『高等小学理科筆記帳』(大正2年3月25日印刷)の発行に貢献した。
メンデルが1865年にその成果を発表してから48年後のことである。
(参考:松代文化財ボランティアの会 著『城下町 松代』より)
長國寺 (長野県長野市松代町松代1015−1) (平成20年10月27日) |
長國寺は、天文16年(1547)、真田幸隆公(1513〜1574)が真田郷の松尾城内に真田山長谷寺を建立し、伝為晃運禅師(1573歿)を開山第一世に招請して、真田家の菩提寺となった。
永禄7年(1564)松尾城外に移され、本格的な禅刹として諸施設が整ったが、元和8年(1622)、上田藩主だった真田信之公(1566〜1658)の松代移封によって現在地に移転し、寺号も長國寺と改められた。
現在、曹洞宗の専門道場として認可されている。
(リーフレットより)
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