八甲田山雪中行軍遭難資料館


雪中行軍遭難の記(一部)

雪中行軍は明治35年1月23日、第8師団歩兵第5連隊が、神成大尉の雪中行軍に対する訓辞があって出発したのは6時55分であった。
小峠に到着したのは午前11時30分であったが、この頃から天候が急変し、風雪強く寒気加わり、食糧は凍結し、かろうじて昼食をした。

1月24日
この日の行軍で遭難者が最も多く実に三分の一を失った。

1月26日
午前11時頃またも吹雪と化し、神成大尉は左の道を、倉石大尉は右に道をもとめ、ついに再び合うことはなかった。
倉石大尉の一隊は駒込川の渓谷に、神成大尉の一隊は幸いに帰路を発見したが、大滝平で空腹と寒さのためついに倒れたが、後藤伍長は仮死の状態で雪中に立ち、捜索隊に発見され、遭難の模様がわかり、翌日から本格的な捜索を行った。
この八甲田山雪中行軍210人のうち、生存者は僅か11人という、世界山岳遭難史上最大の事故となった。

(パンフレットより)


八甲田山雪中行軍遭難資料館 八甲田山雪中行軍遭難資料館
明治25年11月より27年11月まで伏見宮貞愛親王殿下が第4旅団長として駐在され、その後連隊長官舎として使用されたものを、現在地に移築し、資料館としたものです。
展示内容
5連隊遭難軍人の写真・遺品・捜索隊資料、手鏡式位牌・勲章・指揮刀・軍隊手帳、31連隊関係資料、生存者記録写真・資料
資料館内部

余りにも質素な建物なので、これが資料館?と驚きましたが、これが連隊長の官舎だったというのでまたまた驚きました。
凍傷で手足を切断した生存者の写真を見て、亡くなった人も可哀想ですが、生き残った人も辛かっただろうなと思いました。
資金難で維持するのが大変だという話を聞きましたが、その後はどうなっているのか少し心配です。
こういう資料館は末永く維持公開してもらいたいものです。


(平成12年7月訪問)


八甲田山死の彷徨
新田次郎 著  新潮社  昭和52年 第57刷発行  770円
八甲田山から還ってきた男〜雪中行軍隊長・福島大尉の生涯〜
高木勉 著  文春文庫  1991年第5刷  400円
明治35年(1902)年1月、青森歩兵第五連隊第二大隊が八甲田山縦断雪中行軍中、猛吹雪により210名中199名が凍死する大惨事が起きた。一方、福島泰蔵大尉が率いる弘前歩兵第三十一連隊の総勢37名は全員帰還。どこに違いがあったのか。より過酷な行軍を成し遂げた福島大尉の企画力、指導力、人間像を膨大な資料をもとに描く。

ご案内

開館:9時〜17時
休館日:毎週火曜日・12月〜3月
観覧料:一般200円 中高生100円 小学生50円
交通:青森駅前より幸畑団地方面行きバス、乗車30分、幸畑バス停で下車、徒歩約5分

所在地:青森県幸畑字阿部野163−5(幸畑墓苑の中)
電話:0177−38−6931




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