一遍上人像 平成18年11月10日

一遍 いっぺん

延応元年2月15日(1239年3月21日)〜正応2年8月23日(1289年9月9日)

茨城県北茨城市・圓福寺でお会いしました。


伊予国の豪族・河野氏の出身。
宝治2年(1248年)、出家して随縁と号する。
建長3年(1251年)、智真と改名。
その後、一度還俗したが、文永4年(1267年)再出家する。
信濃善光寺への参詣、伊予窪寺での別行を経て、己心領解こしんりょうげの法門である「十一不二頌ふにのじゅ」を感得して一遍と改める。
紀伊国熊野本宮証誠殿しょうじょうでんに参籠し他力念仏の深奥を理解する。
日本全土を廻国巡礼し、「南無阿弥陀仏 決定往生六十万人」と刷られた算ふだを配り、踊念仏を修して人々に念仏を勧めた。


一遍上人賦算像



一遍上人賦算像

(茨城県北茨城市・圓福寺)





(平成18年11月10日)
圓福寺



圓福寺

(茨城県北茨城市磯原町磯原798)

大正10年、島根県乃木市より移転



(平成18年11月10日)

【茨城県内の時宗】

時宗の開祖・一遍は弘安3年(1280年)に、常陸国を遊行している。
一遍は法然の孫弟子・聖達に学び、さらに熊野にて、「信不信をえらばず、浄不浄をきらはず」と、布教すべき思想を確立した。
常陸国に時宗が広まるのは、一遍の弟子、あるいは孫弟子の段階であるが、とりわけ南北朝の動乱期には、佐竹氏が庇護者になるなど、大いに教線を伸ばした。
現在、茨城県内は全国で最も時宗寺院の多いところである。

(参考:『特別展 常陸南北朝史〜そして、動乱の中世へ〜』 茨城県立歴史館 平成26年2月発行)

(令和2年9月30日 追記)


謡曲「誓願寺」

作者 伝世阿弥ぜあみ
季節 3月
場所 当山

登場人物 前まえシテ 女
       後のちシテ 和泉式部いずみしきぶ
       ワキ     一遍上人
       ワキツレ  従僧じゅうそう2〜3人

〈前半〉
一遍上人いっぺんしょうにんが熊野権現に参籠し、「南無阿弥陀仏決定往生けつじょうおうじょう六十万人」の札ふだを弘ひろめよとの霊夢をみる。
都に上のぼり、念仏の大道場、誓願寺で御札おふだを配っていると、一人の女性が御札の言葉を見て、「六十万人より外は往生できないのでしょうか」と問う。
上人は、「これは霊夢の、六字名号一遍法ろくじみょうごういっぺんぽう、十界依正一遍体じっかいえしょういっぺんたい、万行離念一遍証まんぎょうりねんいっぺんしょう、人中上々妙好華にんじゅうじょうじょうみょうこうげの四句の上の字をとったものであり、“南無阿弥陀仏”とさえ唱えれば誰もが必ず往生できる」と説く。
すると女性は有り難がり、「本堂の『誓願寺』の寺額じがくに替え、上人の手で『南無阿弥陀仏』の六字の名号みょうごうをお書きください。これはご本尊阿弥陀如来の御告おつげです。私はあの石塔に住む者です」と、近くの和泉式部のお墓に姿を消す。
〈後半〉
一遍上人が『南無阿弥陀仏』の名号を書いて本堂に掲げたところ、どこからともなく良い香りがし、花が降り、快い音楽が聞こえ、瑞雲ずいうんに立たれた阿弥陀如来と二十五菩薩と共に、歌舞かぶの菩薩となった和泉式部が現れる。
誓願寺が天智天皇の勅願ちょくがんによって創建された縁起が語られ、阿弥陀如来が西方浄土より誓願寺に来迎らいごうされる模様もようなどを描く荘厳優美そうごんゆうびな舞が舞われ、最後は菩薩聖衆ぼさつしょうじゅみな一同に本堂の六字の額に合掌礼拝がっしょうらいはいするのであった。

(説明板より)

扇塚



扇塚
(京都市・誓願寺)





(平成19年3月16日)

扇塚の由来

世阿弥の作と伝えられる謡曲『誓願寺』は、和泉式部と一遍上人が主な役となって誓願寺の縁起と霊験を物語ります。
この謡曲の中で、和泉式部が歌舞の菩薩となって現れることが、能楽をはじめ歌舞など芸能の世界で尊崇され、江戸時代から誓願寺へ参詣するその筋の人が数多くありました。
特に舞踏家が多く、文化・文政・天保(1804〜44)のころに京都で活躍した篠塚流の祖・篠塚文三郎(梅扇)は、幸若の系を引く能楽的な色彩と歌舞的な色彩を調和させた優れた芸風を示したといわれ、天保年間には山村舞とともに京阪で大いに流行しましたが、彼ら舞踏家の中に誓願寺の和泉式部信仰がありました。
その信仰を、昭和・平成の時代まで伝承した舞踏家がありました。
誓願寺の『扇塚』に、芸道上達を祈願して「扇子」を奉納することには、右のような深い歴史的な意味が秘められているのであります。
また、誓願寺第五十五世策伝日快上人(1554〜1642)が『醒睡笑』八巻を著作して落語の祖と仰がれておられることも、「扇子」との強い絆を保持するゆえんであります。

(説明板より)

誓願寺



誓願寺

(京都府京都市中京区新京極桜ノ町453)





(平成19年3月16日)

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