樺山資紀 かばやま・すけのり

天保8年11月2日(1837年12月9日)〜大正11年(1922年)2月8日


戊辰戦争に従軍。
維新後陸軍に入り、台湾に出兵。
西南戦争で活躍。
大警視・警視総監を経て海軍に移る。
明治23年(1890年)第一次山県有朋内閣の海相となる。
つづく第一次松方内閣期に行った『蛮勇演説』が衆議院解散の契機となる。
明治28年(1895年)初代台湾総督に就任。
第二次松方内閣では内相として新聞紙条例を緩和し、一時は首相候補と目された。
第二次山県内閣の文相を経て枢密顧問官となる。


樺山資紀邸跡の碑



『海軍大将大勲位伯爵樺山資紀邸趾』の碑

(鹿児島県鹿児島市西田町1丁目)





(平成19年3月30日)
樺山資紀邸跡



樺山資紀邸跡
(鹿児島県鹿児島市西田町1丁目)





(平成19年3月30日)

【徴募兵】

明治5年11月28日、「徴兵ノ詔」に基づいて、全国に徴兵制が布かれ、ここに近代的な国軍が発足するのだが、初期の徴募兵は惰弱、不規律で、ものの役に立つとは思われなかった。

「熊本はあたかも神風連騒動の後で、鎮台の軍状はただ戦々競々きょうきょうとして、暗夜の歩哨などは、犬ががさがささせたと言っては、もしや敵が襲来したのではないかと発砲したり、実にだらしない骨頂であった」(『陸軍大将川上操六』39ページ)と、当時、熊本鎮台の参謀長であった樺山資紀は語っている。
その熊本城へ応援に来た大阪鎮台の兵士も、夜間一人で立哨させておくと、怖くなって逃げ帰ってくる。
一人や二人では歩哨や斥候には使えなかった。

(参考:須山幸雄 著 『二・二六事件 青春群像』 芙蓉書房 昭和56年第1刷発行)

(平成29年2月3日 追記)





樺山資紀の墓

(東京都豊島区・染井霊園)



(平成22年2月9日)

西南戦争  台湾総督



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