川村重吉像 平成15年8月3日

川村重吉 かわむら・じゅうきち

天正3年(1575年)〜慶安元年(1648年)

宮城県石巻市の日和山公園でお会いしました。


通称孫兵衛。
長門国の生れだが慶長年間に伊達政宗に出仕。
1623年(元和9年)〜1626年(寛永3年)、迫はさま川と江合えあい川を北上川に合流させ、北上川本流を石巻湾に南下させる河川改修事業を成功させました。
この結果、三川が合流していた仙北平野の開発が進みました。
また仙台藩米のほか盛岡・八戸藩米の川下しが開始され、内陸水路が整備されて河口港石巻が成立しました。


川村孫兵衛重吉像
川村孫兵衛重吉の像


日和山公園内にありますが、お昼頃行くと逆光。
いい銅像なんですけどね。うまく写真が撮れない。
川のほうを向いているんでしょうが・・・
向きが悪いんですよね。


(平成15年8月3日)

碑文

川村孫兵衛重吉
天正3年(1575)長州(山口県)に生まれる。
毛利家に仕え、二十代前半、伊達政宗の家臣となる。
治山治水に優れた技術を発揮、正宗の命令で北上川改修工事の責任者となる。
工事は元和2年(1616年)から寛永3年(1626年)に至り、工事費ねん出のため自ら借財、あるいは工事現場に泊り込むなど、筆舌に尽くせぬ労苦を重ねる。
この大改修により石巻から盛岡に至る舟運が開かれ、葛西家滅亡後寒村に過ぎなかった石巻に一躍米の集散地となる。
河口周辺には仙台、盛岡、一関、八戸各藩の米倉が立ち並び、江戸へ米を運ぶ千石船が往来繁栄を極めた。
治水に伴って流域では三十三万石余の新田開発も行われ、地域の発展に計り知れない恩恵をもたらす。
工事完成後は石巻に住み、慶安元年(1648年)、74歳で世を去る。
河北新報社は、石巻市制施行50周年に当たり、港町石巻の基礎を築いた大恩人としての業績を後世に伝えるため、ここに、川村孫兵衛重吉の銅像を建立、石巻市民に寄贈する。

昭和58年(1983年)8月1日
河北新報社
銅像題字 一力一夫
河北新報社社主・会長
銅像製作
翁 観二


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