平成21年11月9日

伊達政宗 だて・まさむね

永禄10年8月3日(1567年9月5日)〜寛永13年5月24日(1636年6月27日)

宮城県仙台市・仙台城でお会いしました。


初代仙台藩主。
出羽国米沢城(現:山形県米沢市)城主・伊達輝宗の長男。
天正13年(1585年)、輝宗を二本松城主・畠山義継のために失ったあと、翌年、畠山氏を滅亡させる。
天正17年(1589年)には会津の葦名氏を滅ぼし、東北南部に勢力を誇った。
天正18年(1590年)、小田原攻めに参陣し、豊臣秀吉に臣従したが、会津・岩瀬・安積の各郡を没収される。
葛西・大崎一揆の鎮圧後、天正19年(1591年)、米沢から陸奥国玉造郡岩出山に移った。
関ヶ原の戦いでは徳川方につき、上杉景勝を攻めた。
慶長8年(1603年)、仙台城に移って城下町を建設し、仙台藩62万石の基礎を築いた。
支倉常長をローマ教皇のもとに遣欧使節として派遣したことでも知られる。


伊達政宗卿像



「伊達政宗卿」像
(宮城県仙台市・仙台城





(平成21年11月9日)

碑文

仙台藩祖伊達政宗卿騎馬の銅像が森の都仙台の青葉山につくられたのは昭和10年のことである
ときの宮城県青年団が郷土の彫刻家小室達氏に託して制作した
19年1月太平洋戦争による金属徴用でその姿を消したが 28年10月新たに卿の平服姿をかたどった白色セメント立像を小野田セメント株式会社が制作して市に贈った
たまたま騎馬像の原型が柴田町に保存されていることがわかり 銅像再建を望む声が高まったので 37年10月本協会法人改組の記念事業として復元を企てたところ 幸いに宮城県 仙台市 柴田町の支援と県内外の熱心な協賛を得て事業もはかどり ここに卿の雄姿を復興することができた
経済の開発と文化の発展につくした英雄の風格は郷土繁栄の象徴として その遺徳とともに永遠にたたえられるであろう

昭和39年10月1日
社団法人 仙台市観光協会
会長 島野 武

 平成21年11月9日

宮城県仙台市・仙台市博物館でお会いしました。

伊達政宗像



伊達政宗像
(宮城県仙台市・仙台市博物館)





(平成21年11月9日)

伊達政宗像

この像は現在青葉城跡にある政宗公騎馬像の最初のものであって第二次世界大戦中軍に徴用されたものの騎馬部分のみ溶解されこの部分は終戦後塩釜市内に打捨てられてあった
幸い郷土史家故石川謙吾氏がこれを発見し私費を投じて購い青葉神社に奉納したものを石川氏のご意思により神社側の了解のもとに本館に移したものである

(銘板・碑文より)

碑石・碑文

此ノ戦仙臺藩祖伊達政宗卿ノ銅像ハ宮城縣青年團ノ建設スル所ナリ
本團ハ昭和五年六月総経費金四萬二千五百五十圓ヲ以テ五箇年継續事業トシテ建設ヲ實施スルニ決シ六年四月調査委員ヲ擧ケテ諸般ノ調査ヲ為シ製作ヲ本縣出身彫塑家小室達氏ニ託ス
縣下各青年團ハ協同勞作ニ従フ等醵出分擔金ノ造成ニ努メ先輩有志亦激励援助ヲ與フルアリ
九年十月九日地ヲ仙臺城本丸阯ニトシテ地鎮祭ヲ行ヒ十年五月像ヲ東京ヨリ輸送シ團員ノ奉仕ヲ以テ此ノ所ニ致シ卿ノ三百年祭ニ當リテ除幕式ヲ擧行シ茲ニ完ク建設ノノ功ヲ竣フ萬世ノ後ニ至ルマテ此ニ詣ル者ヲシテ卿ノ遺風ヲ仰カシメムコトヲ冀フ

昭和10年5月24日
宮城縣青年團

碑文

青葉城跡の最初の政宗公騎馬像が昭和10年に作られたが、そのいわれを永く伝えるべく、それにそえられた碑石の保存をはかった。

昭和53年5月3日
15周年 C・N・記念 仙台エコーライオンズクラブ


【晩年

晩年の政宗は、すでに戦国が遠のいて仙台城が無用の長物と化したのを自覚したのか、広瀬川の川原近くに屋敷城のような小ぢんまりした若林城を営み、そこを常の居所として、ほとんど仙台城に姿を現すことはなかったという。

(参考:百瀬明治 著 『日本名城秘話』 徳間文庫 1995年1月初刷)

(令和2年7月7日 追記)




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