河童 かっぱ


河童像 平成19年3月12日

河童像



河童像

(茨城県行方なめがた市玉造たまづくり町芹沢せりざわ・手奪橋)





(平成19年3月12日)
玉造の民話
手奪橋の言われ
河童の恩返し

昔むかし、現原の殿様が領地の見まわりを終えて屋敷に帰る途中、梶無川かじなしがわの橋を渡っていると馬が動かなくなってしまいました。
ふりかえると子どもくらいの怪物が、馬のしっぽをつかんで川にひっぱり込もうとしているではありませんか。
殿様は「村人を困らせている河童だな。こらしめてやろう」と刀で斬りつけました。
河童は悲鳴を上げて川の中に姿を消しました。
お屋敷に戻ると馬のしっぽには河童の手がぶら下ったままでした。
その晩のこと、河童がしょんぼりとやって来て「私は梶無川の河童です。腕がないと泳げないし魚もとれません。どうぞ腕を返してください。」と頼むのです。
かわいそうに思った殿様が返してやりますと、「私どもには妙薬があり腕をつなぐくらいわけありません」と言って薬を傷口にぬり、ひょいと腕をくっつけました。
殿様が驚いていると「お礼にこの薬の作り方を教えます。それにこれから毎日魚を差し上げます。もし魚が届かぬ時は、私が死んだと思って下さい」と言って帰っていきました。
次の日から毎日、お屋敷前の梅の木に、魚が2匹ずつぶら下げてあるようになりました。
ある朝、いつもの梅の枝に魚がなく、殿様は河童のことが心配で川を探させたところ、かなり上流の与沢よざわで腕に傷跡のある年老いた河童のしかばねが見つかりました。
恩を忘れなかった河童に感動した殿様は祠ほこらを建ててその霊をまつりました。
芹沢と捻木あたりを梶無川と言います。
河童から教わった傷薬は、芹沢家に代々伝わり、多くの人たちが救われました。
諸国の大名から届いたお礼の書状が、今でも芹沢家に残されています。

新選組を創った男の町
玉造町・玉造観光協会

(説明板より)

梶無川と手奪橋



梶無川と手奪橋
(茨城県行方市玉造町芹沢・県道116号線)





(平成19年3月12日)
河童の由来板
河童の由来

むかし、芹沢の殿様が川を渡ったとき、馬にいたずらをした河童の腕を切り落としたところから、この橋を手奪橋(てばいばし)といい、河童は腕を返してもらったお礼にきず薬を教えたという伝えがある。

平成16年3月
玉造教育委員会


(平成19年3月12日)

河童 平成19年4月3日

河童堂



河童堂

(岐阜県岐阜市・岐阜護国神社





(平成19年4月3日)

河童祭(7月中旬)

岐阜護国神社境内に河童堂があり、子供達が好物の胡瓜を供え、相撲大会等を催して水難等の災難除けや無病息災を祈願します。

(『岐阜護国神社』リーフレットより)







河童の墓
(大分県中津市・円応寺)




(平成23年2月11日)





河童の池

(大分県中津市・円応寺)




(平成23年2月11日)

【河童の墓と水文瓦すいもんかわら
鏡智山きょうちざん 円応寺えんおうじ

当寺は浄土宗に属し、天正15年(1587年)黒田如水の開基、真誉見道上人しんよけんどうしょうにんの開山で黒田、細川、小笠原と各藩主に大切にされた寺。
河童の由来の寺として名高い。
江戸中期当寺の寂元じゃくげん上人が河童共を佛ほとけの道に入らせ修行の末、河童の頭目3匹に戒名かいみょうを授けた。
河童たちは上人への御恩返しに寺を火災から守ったという。
この寺の瓦には、珍しく「水」の印の瓦が葺かれていて、水乞みずごいの祈りが捧げられたという。
境内に「河童の墓・河童の池」があって、今でも寺の法要の時には必ず河童の頭目の回向えこうを行っている。
当寺が授けた戒名は現存し、その頭目たちの戒名を彫った火難水難かなんすいなん除けの護符ごふの版木はんぎも残されている。
また、境内に室町時代の優れた八面石幢はちめんせきどうがあり儒者山川東林玉樵やまかわとうりんぎょくしょうの墓碑がある。

中津市
中津の郷土史を語る会

(説明板より)





円応寺

(中津市寺町961−2)




(平成23年2月11日)

【円応寺えんおうじの由来】

知恩院末浄土宗鎮西ちんぜい派、鏡智山きょうちざんと号し、阿弥陀如来を本尊とする。
天正15年(1587年)黒田如水の開基で見道けんどう大和尚の開山。
黒田氏福岡に転封後、細川氏も熊本に移住、小笠原氏城主の時天仲寺より十一面観音像を移し、寺内に観音堂を建立す。
墓地には儒学者山川東林やまかわとうりん、玉蕉ぎょくしょ父子の墓、奥平家の重臣桑名家、東條家の墓所や有名な河童の墓、池などがある。
又「富永章一郎氏解剖記念碑」という大きな碑が建立されている。
章一郎氏は名家の生れで、生前儒学、洋学に優れ、又医学の研究家で、死に臨み自ら進んで死体の解剖を申し出て医師立ち合いで解剖が行われた。
中津では初の試みで、この徳行を賞して、下毛郡医会によって建立されたものである。

中津市
中津の郷土史を語る会

(説明板より)


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