駆逐艦 菊月


昭和17年(1942年)12月20日、ウェーキ第二次攻略作戦に支援部隊の一艦として参加。
MO作戦において、ツラギ攻略の一艦として参加。
昭和17年5月4日、ソロモン諸島ツラギにおいて、米空母艦載機の攻撃を受けて擱座沈没。

【睦月型】

ワシントン条約で主力艦を制限されたため、巡洋艦や駆逐艦の能力の向上が求められ、「峯風型」「神風型」より魚雷を強力な61センチに変更し、発射管も3連装2基としたのが「睦月型」である。
船体は「神風型」とほぼ同様のものだったが、61センチ魚雷の採用により水雷兵装の重量が大きくなり、50トンの増加をみて速度が低下した。
実際に前型と比べて旋回性能や凌波性などが低下していると報告されている。
太平洋戦争では既に艦齢は古くなっていたが、61センチ魚雷を搭載していたことと駆逐艦の数が常に足りなかったことから、終戦まで第一線の戦力として使用された。

【要目】

常備排水量:1,445トン
機関出力:3万8500馬力
速力:37.25ノット
後続力:14ノットで4000海里
乗員数:154名
兵装:12cm単装砲×4
    7.7mm単装機銃×2
    61cm3連装発射管×2

【同型艦】

睦月 大正15年3月25日竣工〜昭和17年8月25日戦没
如月 大正14年12月21日竣工〜昭和16年12月11日戦没
弥生 大正15年8月28日竣工〜昭和17年9月11日戦没
卯月 大正15年9月14日竣工〜昭和19年12月12日戦没
皐月 大正14年11月15日竣工〜昭和19年9月21日戦没
水無月 昭和2年3月22日竣工〜昭和19年6月6日戦没
文月 大正15年7月3日竣工〜昭和19年2月18日戦没
長月 昭和2年4月30日竣工〜昭和18年7月6日座礁放棄
菊月 大正15年11月20日竣工〜昭和17年4月5日戦没
三日月 昭和2年5月7日竣工〜昭和18年7月28日戦没
望月 昭和2年10月31日竣工〜昭和18年10月24日戦没
夕月 昭和2年7月25日竣工〜昭和19年12月13日戦没

(参考:『日本兵器総集』 月刊雑誌「丸」別冊 昭和52年発行)
(参考:『歴史群像2006年2月号別冊付録 帝国海軍艦艇ガイド』)


フロリダ諸島・ンゲラスレ島

「菊月」は大正15年5月15日に進水した日本海軍の駆逐艦。
昭和17年5月4日に米軍の空母「レキシントン」の艦載機の攻撃を受け、魚雷が命中。
乗組員定数154名のうち、12名が戦死し22名が負傷した。
その後、駆潜艇に曳航されてガブツ島の海岸に擱座。
生存者は敷設艦「沖島」に収容されラバウルへ向かった。
昭和18年、米軍は大破放棄された「菊月」を引き揚げて調査をし、その後、「トウキョウ・ベイ」まで持ってきて放棄。

通称「トウキョウ・ベイ」
水面にわずかに「菊月」の残骸が顔を出している。

(平成22年11月19日)



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