松代大本営(松代地下壕)

長野県長野市松代町西条


松代象山地下壕

象山地下壕遠景 平成20年10月27日

松代象山地下壕とは

松代象山地下壕は、第2次世界大戦の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として極秘のうちに、大本営、政府各省等を松代に移すという計画の下に構築したものです。
着工は昭和19年11月11日午前11時。
翌20年8月15日の終戦の日まで、約9か月の間に当時の金で約2億円の巨費とおよそ延べ300万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され1日3交代徹夜で工事が進められました。
食糧事情が悪く、工法も旧式な人海作戦を強いられ、多くの犠牲者を出したと言われています。
松代地下壕は、舞鶴山(現気象庁精密地震観測室)を中心に皆神山、象山の3か所に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は10キロメートル余に及んでいます。
全工程の75%の時点で終戦となり工事は中止されました。
戦後は、訪れる人も少なく忘れ去られようとしていましたが、太平洋戦争の遺跡として多くの人々にこの存在を知っていただくため平成元年から見学できるように整理したものです。

(リーフレットより)

 (案内板より)

地下壕の見学入口




地下壕の見学入口






(平成20年10月27日)

松代象山地下壕の現況

総延長:5,853.6m (うち138.7mを信州大学宇宙線地下観測室となっている)
概算掘削土量 59,635立方メートル
床面積 23,404平方メートル

 (説明板より)

 (説明板より)

朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑



松代大本営 朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑

(松代象山地下壕見学入口脇)





(平成20年10月27日)

追悼平和祈念碑案内

太平洋戦争末期に、本土決戦に備えて大本営の移転と国体(天皇制)護持のため、軍の命令によって、防衛上の観点から選ばれた松代を中心に、大本営と皇居(舞鶴山)、政府機関と日本放送協会・中央電話局(象山)、皇族住居(皆神山・後に食糧庫に変更)、賢所(弘法山)、受信施設(妻女山)などを移転する大工事が秘密裡に企画された。
1944年11月11日から45年8月15日、敗戦の日まで続けられたこの工事には、東部軍、工兵隊、熱海鉄道教習所生徒、および産業報国隊・勤労報国隊の徴用者や学徒・学童も多数動員されたが、地下壕掘削などの中心的役割を果たしたのは、当時植民地下の朝鮮(大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国)からの多くの強制連行者を含む約6千人の人々であった。
その工事は、厳しい監督下での昼夜兼行の強制労働で食料も乏しく、発破や落盤の事故、栄養失調で死亡したり、逃亡した者も少なくない。
さらに自殺したり待遇改善などを要求して射殺された者もおり、犠牲者は3百人とも推定されているが千人という説もある。
しかし戦後、軍部等による関係資料の焼却などにより、犠牲者氏名はほとんど不明であり、今日までに氏名が判明したのは強制連行された朴道三・金快述の他、飯場頭の趙徳秀、中野次郎の4人にすぎない。
この工事では、住民も土地を強制買収され、特に松代の西条地区では仮皇居の建設工事で、百戸以上が立ち退きを強制されたりしたが、住民や徴用者と朝鮮(韓国・朝鮮)人との関係は友好的な面もあって、そのきずなは今日も途絶えていない。
この大地下壕を中心とする「松代大本営」は、太平洋戦争と朝鮮植民地化に象徴される日本のアジア侵略の歴史と、その反省を永遠に刻む歴史的遺跡であり、この碑の建立と壕の見学が、なお残る民族差別の克服と友好親善の新たなる第一歩となることを切に願うものである。

1995年8月10日
松代大本営朝鮮人犠牲者慰霊碑建立実行委員会

(当時日本に植民地化されていた朝鮮は、現在の大韓民国と朝鮮民主主義共和国にあたる)

(説明板より)

削岩機ロッド




削岩機ロッド






(平成20年10月27日)

削岩機ロッド

削岩機はコンプレッサーから送られる圧縮空気を操作する搾手部と、回転する鉄棒のロッド部と、その先端についた岩を砕くビットから成っている。
当時はこの削岩機により岩に穴を開け、そこにダイナマイトを仕掛け破砕した。
この時抜けなくなったロッドが壕内に数本ある。
なお、削岩機のロッドによる穴跡は壁面に無数に残っている。

(説明板より)

トロッコ枕木の跡




トロッコ枕木の跡






(平成20年10月27日)

トロッコ枕木の跡

壕内で掘った石屑(ズリ)はトロッコに乗せて壕外に搬出された。
トロッコは土木工事用の運搬手押し4輪台車で、枕木によって固定されたレール(軌条)上を走行していた。
その枕木の周囲に砂が落ち凹ができた。
その凹の跡が当時の作業を如実に物語っている。

(説明板より)

測点跡




測点跡






(平成20年10月27日)

測点跡

壕を精巧な網の目状に掘削するにあたり、壕の東西・水平を測量した跡といわれている。
天井に四角い杭がささっており、その先には釘の先端が残されているが、これは測量時に下振り(おもり)をぶら下げたものと考えられている。

(説明板より)

「地下壕内に折鶴等を捧げることはご遠慮ください」
(松代象山地下壕管理事務所)

という掲示がされているにもかかわらず、その看板の脇に平気で折鶴等が置いてある。
ほとんどのものに各地の中学校の名が記されてあった。
社会教育で訪れたのかもしれないが、決まりを守るのも勉強ではないか?
管理者に迷惑をかけるこういう「慰霊」には不快感を覚える。

見学の案内

入壕 無料
時間 午前9時〜午後4時まで
休み 第3火曜日・年末年始(12/29〜1/3)・点検等による臨時休業あり


松代地下大本営跡

松代地下大本営跡 平成20年10月27日

気象庁地震観測室(松代地下大本営跡)

第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦最期の拠点として、極秘のうちに、大本営軍司令部 参謀本部 政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和19年11月11日午前11時着工翌20年8月15日の終戦の日まで、およそ9ヶ月の間に当時の金額で2億円の巨費と延べ3百万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され突貫工事をもって構築したもので全工程の75%完成した。
ここは地質学的にも堅い岩盤地帯であるばかりでなく、海岸線からも遠距離にあり、川中島合戦の古戦場としても知られているとおり要害の地である。
規模は三段階、数百米に亘る、ペトン式の半地下建造物、舞鶴山を中心として、皆神山、象山に碁盤の目の如く縦横に掘抜きその延長は10粁余に及ぶ大地下壕である。
現在は世界屈指を誇る気象庁の地震観測所として使用され、高倍率のひずみ地震計はじめ各種高性能観測機が日夜活躍している。

長野市観光課

(説明板より)

地震観測施設入口



気象庁精密地震観測室 地震観測施設入口
(長野県長野市松代町西条)

立ち入り禁止・非公開です。



(平成20年10月27日)

 (案内板より)

1号・2号庁舎



右奥:1号庁舎(天皇陛下居室用)

左手前:2号庁舎(皇后陛下居室用)
(長野県長野市松代西条・精密地震観測室庁舎)


見学不可


(平成20年10月27日)
3号庁舎



3号庁舎(宮内庁職員用)

(長野県長野市松代西条・精密地震観測室庁舎)


展示室があり見学可能


(平成20年10月27日)

気象庁精密地震観測室

第2次世界大戦末期に、大本営が移転・入居するために、天皇御座所をはじめとする地上建物及び地下坑道の工事が行われましたが、完成することなく終戦とともに工事は中止されました。
これらの施設を利用して、1947年(昭和22年)5月に中央気象台松代分室がここに設置されて、地震観測業務が開始されました。
1949年(昭和24年)6月に地震観測所と改称され、中央気象台の附属機関となりました。
1995年(平成7年)4月には精密地震観測室となり、気象庁地震火山部地震津波監視課の施設として現在に至っています。
創設以後、地下坑道など優れた地震観測環境と最新の観測機器の導入によって、全地球的な地震の観測・監視および精密な地殻変動の観測による調査研究等を行っており、わが国だけでなく世界的にも有数の地震観測・研究施設となっています。
また、この周辺に展開した群列地震観測システムでは、松代群発地震等長野県周辺の地震活動の監視、東海地震等の大地震発生時の気象庁本庁のバックアップ、遠地津波予報支援、及び地下核実験の探知のための観測データの提供等を行っています。
これらの観測と研究によって、地震防災、学術及び国際協力などにおいて重要な役割を果たしています。

松代地震センター

1965年(昭和40年)8月から激しい群発地震が発生し、松代町をはじめとする地元住民を恐怖に陥れました。
この松代群発地震が始まると、関係諸機関及び大学等により様々な角度から観測、調査、研究が精力的に実施されました。
これらのデータを有効に利用し、地震活動の多面的な分析と情報提供、災害対策への支援、地震予知研究の促進などのために、松代地震センターが1967年(昭和42年)2月に、関係機関及び自治体の協議体として、設置されました。
なお、松代群発地震は現在も継続しており、体に感じないような小さな地震が年間数百回程度発生しています。

松代大本営の概要

松代大本営と称された地下坑道、その他の施設は昭和19年11月に着工しましたが、昭和20年8月の終戦とともに中止され、工事は全工程の75%進んだところで打ち切られました。
地下坑道の総延長は約10.4km、これに要した工費は当時の金額で2億円、動員された人員は延べ300万人に達しました。
各地下坑道の所在と使用計画は次の通りです。

場所 坑道延長 使用目的
象山 5,900m 政府各省庁
舞鶴山 2,600m 御座所、参謀本部、学習院
皆神山 1,900m 軍司令部

なお、現在地の舞鶴山地下坑道、その他が地震観測室の所管となっており、1号庁舎の一部と展示室(3号庁舎)は自由に見学できます。

2001年1月 精密地震観測室・松代地震センター

(説明板より)




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