御城
みじょう
那珂郡山方町山方字館
佐竹十二代義盛は子がなく、室町時代初期の応永14年(1407年)、42歳で鎌倉で死亡。
佐竹の重臣達は、関東管領上杉憲定の次子龍保丸を佐竹十三代とするが、当時8歳、上杉一族では美濃国山方出身の山方能登守盛利を後見人として、この地に下向させ居城させたのが始まり。
文明年間(1469年〜1487年)になると、佐竹十五代の義治の五男政義が、この地に封じられる。
山方盛利はこの城の南西に龍ヶ谷城を造り、ここに移り住む。
佐竹政義は東氏と改姓。
政義の孫の義喬は子がいなかったので弟の義久が継ぎ、東中務大輔といった。
天正19年(1591年)3月、佐竹義宣が太田城から
水戸城
に移った時、東義久も従って城東の武熊城に移ったので、御城は廃城となる。
東氏は慶長7年、佐竹氏の秋田移封とともに秋田に移った。
御城跡遠景。
御城は川のすぐ近くに建っています。
下の駐車場からテクテクと坂を登ります。
資料館兼展望台です。
大人100円、子供50円、6歳未満は無料です。
定休日は毎週月曜日。
月曜日が休日のときは翌日です。
(2000年現在)
裏の方から見た御城
茨城の古城〜県央・県北の古城興亡史〜
関谷亀寿 著 筑波書林 平成2年発行 1600円
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