伯父さんの遺言に従って・・・・

(北京)


平成18年6月16日(第1日目)

私の母の兄である”おじちゃん”は内モンゴルの砂漠の緑化事業にNPOの理事長として永年携わっていた人です。
その伯父が亡くなったのは平成15年11月のこと。
この時、従兄弟たち(伯父の子供達)は遺骨の一部を散骨用に別にしていた。
伯父が遺言として、自分の骨の一部を砂漠に撒いて欲しいと言っていたらしい。
いつか砂漠に散骨に行くと聞いていたが・・・・遂にその機会がやってきたのであります。
しかも嬉しいことに、その旅に誘ってくれた。
伯父の晩年、私は伯父に誘われ、戦友会の慰霊団に参加して生れて初めてフィリピンへ行った。
その後、私が一人でフィリピンへ行った時、「おい、よく一人であんな危険な場所へ行けるなぁ~万が一の場合は俺がお前の骨を拾いに行かねばと覚悟を決めていたぞ!」と冗談を飛ばしていた伯父。
亡くなる年には国内の慰霊祭や戦友会にも誘っていただき一緒に2泊3日の旅をした。
伯父と甥が二人で旅をするというのは、なかなか出来ないことだと思う。
旅先で出会った人に「頼りになる甥なんだ」と私を誉めてくれた伯父。
その伯父の散骨の旅に同行できるのです!
こんな幸せなことはない。何があっても行かねばならぬ!

この旅はNPO団体が主催したもので、伯父の子供達(娘3人・息子1人)と甥の私、伯父の従兄弟夫婦と友人夫婦、一緒に植林作業をしたNPO会員など、伯父と縁ある方々を含めた5泊6日、22名の団体旅行です。

12時30分、成田集合。
我々親戚を中心とする茨城県からの参加者は、従兄弟が手配したバスで雨の中、成田空港へ向かいました。
直接現地集合じゃなかったので私にとっては楽な旅の始まりとなりました。
さて、搭乗する飛行機は・・・・CA926便とのこと。
CAとはキャセイパシフィック航空かと思いきや、中国国際航空だそうだ。
なんたることか、フィリピン航空ばかり乗っているから航空会社名もわからなくなっている。(情けない)
この便はANAと共同運航している便。
ANAのマイレージカードを作っておけばよかったと今更思っても遅い・・・・
他の参加者と合流。成田空港で昼食を従兄弟にご馳走になる。
さ~て、そろそろ出発時間かな?と思ったら・・・・
なんと、飛行機がまだ成田に到着していない。
さすがは中国だ。時間にいい加減だ。
ちなみに私は中国が嫌いです。中国人も嫌いです。
こんなことを言ったら伯父ちゃんに怒られそうだけど・・・・・

14時55分発予定の飛行機が離陸したのが16時15分過ぎ。
機体はB-777-200。
な~んだぁ、小さな飛行機だなぁ~ちゃんと北京まで行けるのか?
なにせ、国が嫌いだと何でもかんでもケチを付けたがるのは人情です。
約3時間のフライト。
暇だぁ~。
機内の中国語を読んで暇つぶし・・・・
『救生衣』=ライフジャケット
『安全帯』=シートベルト
『登机』=搭乗
机に登っていないんだけど・・・・
何で机なんだ?もしかして英語の”オンボード”の当て字か?
それなら『登板』のほうが適しているんじゃないか?

北京空港 北京空港に到着

日本時間で19時30分
時差は1時間。
1時間戻します。
現地時間は18時30分となります。
観光バス 観光バスでホテルへ

意外や意外、まともなバスでした。

到着した時の北京の気温は33度。
あれ?寒いんじゃないのか?
何の情報も知らべず、イメージだけで寒いと思っていたのが大間違い!
暑い!

モンゴルの砂漠へ行くということしか頭にはない。
砂漠は寒暖の差が大きいからセーターなどの厚手の服を持っていったほうがいいという。
じゃぁ、夏服は少なくていいだろう・・・・これが間違いだった。
しかも、フィリピンへ行く時と同く荷物は少なくしたい。
リュック一つにまとめたため、夏服の数も少なくしてきたのだ。
参ったぞ・・・

バスの中で両替。
日本円で5,000円のみ。
まぁ~団体旅行だし、お土産は買う気はないし・・・・(買ってもリュックは既に洋服で満杯だから入らない)
5,000円=335元。
1元=約15円として考えることにする。

華都飯店 華都飯店

ここは伯父が常宿としていたホテルらしい。
伯父を偲んで我々もここに泊まります。


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