諸戸氏庭園

三重県桑名市太一丸18番地


本邸 平成15年11月29日

本邸・大門(国重要文化財指定)

1884年(明治17年)から数年の間に建てられ、1889年(明治22年)「諸戸店」開業時に、店舗として使用された。
太い格子戸や欅けやきの一枚板など、随所に初代のこだわりが感じられる。
清六は、玄関外の脇に三尺ほどの縁台を置き、せんべい布団に座っているのが常だった。
自室には東海道線の時刻表を飾り、いつでも出かけられる支度がなされていたという。
大門は御殿建築の折に造られた。
薬医門やくい門形式で、棟心むねしん(門の中心)がやや前方に片寄っているのが特徴。

(説明板より)


初代 諸戸清六(1846〜1906)

諸戸清六は1846年、桑名郡長島村加路戸大新田諸戸家に長男として生まれた。
幼名を民治郎という。
諸戸家はこの地で代々庄屋を営んでいたが、清六の父・清九郎の時に商売に失敗し、身代を潰してしまった。
1847年、一家は住み慣れた地を離れ、米・塩・肥料の採取業をしながら各地を転々とし、やがて舟馬町に落ち着くと船宿を営んだ。
18歳になると清六は諸戸家の当主となったが、この時受け継いだものといえば布団・衣類・道具と約二十石積の船一隻、そして一千両を越える莫大な借金であったといわれている。
しかし清六はわずか二年で借金を返済すると、商売の基礎を着実に固めていき、財を成した後は、公共事業にも意欲的に取り組んだ。
水道施設を設置し、一般に開放し(諸戸水道)、桑名町内三十箇所以上に消火栓を設けた。
このような設備は当時大都市を除いて希なものであった。

(パンフレットより)


御殿前玄関



御殿前玄関






(平成15年11月29日)

御殿玄関・玉突場(国指定重要文化財指定)

1890年(明治23年)、当時妻を亡くし、商売もうまくいかず気落ちしていた清六は、家相に詳しい佐野常民子爵の助言を受け、御殿着工を決意した。
御殿玄関(寄木張りの床)は当時の外務大臣・大隈重信の指図で、外務省の大広間を模したと伝えられている。
玉突場は御殿とともに建てられた。
御殿奥の洋館を含め、当時は来賓を迎えるために洋館を設けることが一般的であり、また一種のステータスでもあった。

(説明板より)

推敲亭



庭園の中にある推敲亭






(平成15年11月29日)

推敲亭すいこうてい(三重県文化財指定)

覚々斎原叟かくかくさいげんそう(1687〜1730)作と伝えられている草庵。
ここから菖蒲池へと続く低い地形を水面に見立てて沢飛石さわとびいしが打たれ、山間の渓流のような雰囲気を醸し出している。
推敲亭に向かって左手前には、京都五条大橋の欄干を用いたという「橋杭燈籠はしくいとうろう(擬宝珠燈籠ぎぼしとうろう)」が配置されている。
推敲亭右の「織部燈籠おりべとうろう」は、茶人古田織部の考案した形といわれ、竿の部分に人形の彫がある。
一説には切支丹きりしたん禁制の時世に信者が用いたものが、茶庭の趣のひとつとして使用されるようになったともいわれている。

(説明板より)

煉瓦蔵



煉瓦蔵






(平成15年11月29日)

煉瓦蔵(三重県文化財指定)

本邸と同様に1887年(明治20年)頃に当初木造で建てられた。
1895年(明治28年)火災により焼失。
その後煉瓦で再建されたが、1945年(昭和20年)の戦災で二棟が失われ、現在三棟が残っている。
煉瓦の表面に小口面の段と長手面の段とが交互に出るイギリス積み。
米蔵として使用され、蔵前の堀に船を着け搬入していた。

(説明板より)

庭園 平成15年11月29日:天気雨

庭園の変遷

当地は、室町時代には「江の奥殿」と呼ばれ、既に邸宅・庭園の設けもあったといわれています。
1686年(貞享3年)、豪商山田彦左衛門が下屋敷・隠居所としてこれを買い求め、沼築庭を造園しました。
当時の様子は魯縞庵義道の『久波奈名所絵図』に詳しく描かれており、御成書院や推敲亭がその頃からあったことがうかがえます。

1884年頃(明治17年)、庭園は初代諸戸清六の手に移り、御殿と池庭が付け加えられました。
その後二代目諸戸清太の代に更に手を加え、今日に至っています。

現在の庭園は三つの部分に分かれています。
第一は菖蒲池を中心とした伝・原叟築造の回遊式庭園部分であり、本庭園の中でも歴史的に最も古い部分です。
菖蒲池を中心に、西に推敲亭、東に藤茶屋、北に蘇鉄山と神祠がみえます。

第二は御殿とその池庭です。
ここは水田を埋め立てて造られたもので、海抜0以下に位置します。
そのため、水門から流れ込む揖斐川の満干の影響を受け、池の水位が上下し、刻々と変わり行く景観を味わう汐入りの池となっていますが、現在水門が閉じられているため水の流れはありません。

第三は御成書院とその庭園です(現在は非公開)。
芝生と二つの築山、数個の庭石で作られた庭園が書院の南に広がり、全体として開放的な空間を作り出しています。

(パンフレットより)

御殿




御殿





(平成15年11月29日)

庭園(国名勝指定)
御殿(国重要文化財指定)

1890年(明治23年)着工。
棟梁とうりょう・鬼頭与吉、副棟梁・伊藤末次郎であった。
建築には桑名貯木場の御料材や、東京からわざわざ建材を取り寄せたといわれる。
大隈重信、山縣有朋などの著名な政治家がここを訪れた。

池庭は東京から宮内省の技師・小平義近を招いて設計された。
池は琵琶湖を模して造られており、右手に見える岩を竹生島ちくぶしまに、奥の石橋を天橋立あまのはしだてに見立てている。
池の周囲には州浜すはま状にに敷き詰められた玉石や長島城・桑名城・鳥羽城から運んできた庭石が配され、石組も見所のひとつとなっている。

(説明板より)

御殿前の庭園 御殿の前の庭園


訪問記

諸戸氏庭園は普段は非公開なのだそうです。春と秋の年2回だけ公開しているのだそうです。
訪れたのは、偶然にも公開期間終了1日前。雨のためちょっと残念でしたが、おかげで観光客もなく、ゆっくり見て回れました。晴れていたら混んだろうなぁ〜

(平成15年11月29日)


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