向井去来 むかい・きょらい

慶安4年(1651年)〜宝永元年9月10日(1704年10月8日)


父は儒医で長崎聖堂の祭酒さいしゅを勤めた向井元升。
名は兼時、通称は喜平次。
長崎生まれだが、万治元年(1658年)一家は京都に移住し、去来もここで成人した。
医者であった兄の元端を助けたり有職故実の学をもって堂上とうしょう家に出入りしたが、貞享3年(1686年)芭蕉に入門。
元禄4年(1691年)芭蕉の監修のもとに凡兆と『猿蓑さるみの』を編集・出版。
芭蕉俳諧の重要な撰集となった。
京都西郊の嵯峨野に落柿舎らくししゃを結び、上洛した芭蕉をもてなした。
師の没後、芭蕉から得た俳諧に関する諸説を『去来抄』にまとめ、今日まで芭蕉俳諧を研究する上で欠かせない資料となった。
蕉門十哲の一人。


句碑



句碑
(長崎県長崎市・祓戸はらえど神社前)





(平成20年11月22日)

碑文

向井去来は慶安4年(1651)長崎に生まれ宝永元年(1704)京都で歿した。
彼は若き日修めた弓矢の道を捨てゝ俳諧の苑に進み蕉門十哲の一人に数えられた。
その篤実な人柄は師松尾芭蕉や同門の深い信頼を受けて蕉風の代表的撰集「猿蓑」を野沢凡兆と共撰しまた蕉風俳諧の粹「去来抄」をまとめた。
去来は8歳の日離れた故郷を忘れがたく再度長崎を訪れては数々の佳吟を残した。

  尊さを京でかたるも諏訪の月  去来

この句にこもる望郷の心情は、産土の神諏訪の御社の下長崎にゆかりある我々も等しく抱くものである。
ここに先人去来の遺風を慕う在京の無月句会の連衆は諏訪神社の境内にこの句碑建立を発起した。

昭和61年初夏
文並びに書 福田清人




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