村田新八 むらた・しんぱち

天保7年11月3日(1836年12月10日)〜明治10年(1877年)9月24日


幼時から西郷隆盛と交わる。
明治元年(1868年)戊辰戦争で鹿児島藩隊監軍。
翌年、鹿児島常備隊砲兵隊長。
明治4年(1871年)宮内大丞だいじょうとなり岩倉遣外使節の一員として米欧を視察。
明治7年(1874年)帰国後、西郷を追って辞職し帰郷。
私学校の創設にかかわり砲隊学校を主宰。
西南戦争で戦死。


村田新八の墓



村田新八の墓
(鹿児島市・南州墓地)





(平成19年3月30日)

村田新八

明治4年宮内大丞となり、岩倉具視一行に加わり欧米を視察。
7年帰国し辞職、帰鹿。
私学校砲隊の監督。
西南の役では、薩軍2番大隊長。
城山最後の日、西郷の死を見届けて自刃。
享年42歳。

(説明板より)

南州墓地


南州墓地
(鹿児島市・南州公園内)

1877年(明治10)の西南戦争で戦死した西郷隆盛をはじめ、2023名の将士が眠っています。



(平成19年3月30日)

西南の役  戊辰戦争



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