大久保藤五郎 おおくぼ・とうごろう

?〜元和3年(1617年)


徳川家康の家臣。
三河国生まれ。
永禄6年(1563年)の一向一揆で負傷し、歩行が不自由になったという。
家康の江戸入府に際し上水道の開設を命じられ、のちの神田上水のもとになったものを見立てたとされる。
その功により代々主水を名乗る。
菓子の製造を好み、死後300石が収公されたのち、子孫は町人となり幕府御用達の菓子司を営んだ。


神田上水石樋



神田上水石樋

(東京都文京区本郷2−7・本郷給水所公苑)





(平成20年6月13日)

神田上水石樋かんだじょうすいせきひ

徳川家康が入府にゅうふした天正18年(1590)頃の江戸は、広大な武蔵野台地の東端とうたんに位置する小さな村落であったといわれている。
神田上水は、家康の江戸入府にさいして、家臣 大久保藤五郎忠行が開削かいさくした小石川上水がその起源といわれている。
神田上水は、井の頭池の湧水ゆうすいを水源とする神田川に善福寺川、妙正寺みょうしょうじ川の水路を合わせ、目白台下の大洗堰おおあらいのせきに至り、水戸藩邸を通って神田川を懸樋かけひで渡し、神田、日本橋方面の飲み水などに利用していた江戸時代から明治時代はじめの水道である。
この石樋せきひ(石垣樋)は、昭和62年から平成元年にかけて発掘された神田上水幹線水路の一部を移築復原したものである。
石樋の内部寸法は、上幅うわはば150cm、下幅したはば120cm、石垣の高さ120〜150cmで、長さ約180cm、幅60cm、厚さ30cm前後の蓋石ふたいしがのせられている。
江戸水道から現在の東京水道に至る400年を記念し、また、江戸時代遺跡の保存活用を図ることを目的としてここに移築復原したものである。

平成2年10月
東京都水道局

(説明板より)



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