アメリカ合衆国・ハワイ・太平洋航空博物館 |
ニイハウ島の零戦不時着事件
1941年12月7日〜13日、ニイハウ島、ハワイ准州
ここに展示されている三菱社製のA6M2ゼロ戦の残骸は1941年12月7日からニイハウ島にあった本物です。
パイロットだった日本海軍一等飛行兵曹、西開地 重徳(にしかいち しげのり)は、ベローズ基地とカネオヘ海軍航空基地に向かった第二次攻撃隊に参加し、オアフ島上空において対空砲火を受け、ガソリンタンクを損傷し、燃料切れのためにニイハウ島に不時着しました。
日本海軍の救助を待つ間、西開地一等飛行兵曹は島に住んでいた原田 義雄に日本語で話しかけられます。
原田は奪われた軍の書類を取り戻すために、島に住むハワイ人達を制圧しようとする西開地一等飛行兵曹を助ける決意をします。
しかし、結局、島の住民だったベネ カナヘレと彼の妻のエラとの短くも激しい格闘の末に、西開地一等飛行兵曹は殺害され、原田も自殺を遂げます。
日本軍がすぐにハワイへの侵攻を始めるかもしれない状況下で、米軍の調査隊はゼロ戦の伝説的な飛行能力の秘密を探るために、この残骸を急いで分解して徹底的に調べました。
部品の一部は更に詳しく調査するためにオアフ島に輸送されます。
ニイハウ島の住人だったギルバート カラオラ バフレハウアと彼の息子は、唯一残ったエンジンを自宅に持ち帰り保管しました。
ロビンソン一家の助力と支援によって、2006年にこの飛行機の残骸はここ太平洋航空博物館に移送されました。
この様な驚くべき歴史を持った飛行機が一般公開されるのは、世界でも初めてのことです。
展示物の概観について
背景の写真は実際に西開地1等航空兵曹が不時着した場所の様子です。
残骸は当時の不時着の状態とほぼ同じに配置してあります。
館内の一番左端に展示されたゼロ戦が攻撃当日の朝に飛行機がどのように現れたかの様子を想像させてくれます。
機体の殆どの重要な部分は情報収集のために1941年にアメリカ軍によって回収されました。
その後、何十年にも渡って野ざらしとなった結果、ここに展示されているのが西開地のゼロ戦の現存する残骸の全てです。
(日本語説明板より)
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日本海軍1等飛行兵曹 西開地 重徳。 (説明板より) (平成21年12月8日) |
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不時着直後の西開地一等兵曹のゼロ戦 (説明板より) (平成21年12月8日) |
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不時着して1週間後の西開地のゼロ戦の残骸 (説明板より) (平成21年12月8日) |
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B西開地と共謀して島の制圧を図った日本人労働者の原田義雄。 C西開地と原田がニイハウ島住民を威嚇するために使用した、ゼロ戦に搭載されていた機銃の内の1丁。 Eニイハウ島事件の功績で、功績勲章と紫心勲章を受けたベネ・カナヘレ。 F実際の不時着現場付近に立つ現在のニイハウ島の所有者の1人であるキース・ロビンソン (説明板より) (平成21年12月8日) |
パプア・ニューギニア共和国・ニューブリテン島ラバウル・トベラ飛行場跡 |
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零戦の残骸(操縦席と主翼) | 操縦席 |
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操縦席 | 操縦席 |
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操縦席 | 操縦席前部 |
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零戦のエンジン? | 零戦の機体尾部? |
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トベラ飛行場跡 旅日記参照 (平成21年3月3日) |
パプアニューギニア独立国・ニューブリテン島ラバウル・ココポ博物館 |
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