世田谷城 せたがやじょう

東京都世田谷区豪徳寺2−14・世田谷城址公園


世田谷城跡 平成20年7月4日

世田谷城跡 都指定旧跡

世田谷城は武蔵野台地の一角、南東に張り出した舌状台地の先端部に立地し、西・南・東の三面に烏山川が蛇行し、北には小支谷が入る。
14世紀後半に吉良治家が居住したのに始まると伝える。
吉良氏は清和源氏・足利氏の支族で、世田谷吉良氏はその庶流にあたる。
はじめ鎌倉公方に仕え、15世紀後半に関東が乱れると関東管領・上杉氏やその家宰・太田道灌に与力し、16世紀には北条氏と結んだ。
北条氏と上杉氏との勢力争いで、享禄3年(1530)には世田谷城は攻略されたと伝えるが、のち吉良氏の手に復した。
この間、吉良氏は北条氏と婚姻関係を結び、その庇護下にあったが、天正18年(1590)、豊臣氏の小田原攻略により、世田谷城も廃城となった。
世田谷城の濠・土塁の構造は天文6年(1537)の再築とされる深大寺城のそれと類似しており、16世紀前半に防御の為、大改築がなされたことが窺える。

平成14年11月
世田谷区教育委員会

(説明板より)

世田谷城跡



世田谷城跡
(世田谷城址公園)





(平成20年7月4日)



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