輜重兵第26連隊

(通称号:泉第5321部隊)

編成地 編成時期 終戦時の所在地
張家口 昭和12年 レイテ島で玉砕・一部ルソン島で全滅

編成後、蒙彊方面の各種作戦に参加。
昭和19年7月、比島(フィリピン)方面へ転用され、9月にルソン島に進出した。
作戦準備中に敵のレイテ島来攻に伴いレイテ島に派遣され、昭和19年11月9日、オルモックに到着。
しかし、暴風と敵艦載機の来襲により、装備の揚陸はできず人員のみの揚陸となる。
戦局を挽回する術もないまま、連隊長以下師団(第26師団・泉兵団)と運命を共にして玉砕。


慰霊の碑



泉第5321部隊
輜重兵第26連隊慰霊之碑

(愛知県幡豆郡幡豆町・三ヶ根山頂・比島観音霊場)




(平成20年4月16日)

隊歴 輜重兵第26聯隊歴

昭和10年近衛輜重兵聯隊に於て独立混成第11旅団独立輜重兵第11中隊編成完結
同年3月熱河省承徳に於て第7師団と警備交代
同12年7月応急派兵下令北支大同に駐屯
同12年10月第26師団輜重兵第26連隊聯隊に改編(泉第5321部隊)
大東亜戦争熾烈に伴い比島決戦参加の為同19年7月大同出発釜山経由同年8月マニラ上陸駐留
同11月レイテ島オルモックに上陸
同12月25日タリヤサン東方地区に集結
同20年1月3日激戦の末玉砕

主な戦歴

昭和12年南口八嶺及び大同会戦綏遠一、二次作戦
同13年河曲作戦清水河作戦大海附近作戦北部山西作戦寧武作戦
同14年春季反撃作戦大行山脈粛正討伐作戦蒙彊地区冬季反撃作戦
同15年後套一、二次作戦東斉堂方面討伐作戦山西省西北部作戦安北国陽作戦晋察冀辺区一二三四次作戦懐■北方地区作戦■源作戦
同16年中原会戦
同17年浙■作戦
同19年河南作戦
同年比島決戦

碑文

顧みれば支那大陸に於ける作戦幾度か武運常に我に利あり、戦果の蔭に尊き先輩の犠牲を忘れ得ず
時に戦雲急を告げ我が部隊南下せるも物量を凌駕する米軍と言語を絶する死斗の中に本隊はレイテ島に無念の玉砕を遂げ、一部残留部隊はマニラクラークモンタルバンイポトッカンに転戦悪戦苦闘遂に全滅す
常に祖国の勝利を念じ護国の神と散華せし数多き戦友諸氏よ今こそ吾等は君達の栄誉を永遠に讃え此の地に合祀せんとす
英霊よ集り来り安らかに眠り給え

昭和48年1月吉日
大同二一会戦友一同


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