種田山頭火像 平成15年7月25日

種田山頭火 たねだ・さんとうか

明治15年(1882年)12月3日〜昭和15年(1940年)10月11日

山口県JR小郡駅(現:新山口駅)新幹線口広場でお会いしました。


本名は正一。早稲田大学中退。
大正2年(1913年)荻原井泉水に師事し、自由律の俳句誌「層雲」で活躍しました。
種田家破産後、熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度し、耕畝と改名しました。
以来、行乞放浪の旅で句作を続けました。


銅像碑文

まったく雲がない笠をぬぎ  山頭火

種田山頭火は、さすらいの旅を続け、質の高い自由律俳句を作りつづけた層雲派の俳人で「昭和の芭蕉」といわれた。
昭和7年から同13年まで小郡町矢足に住み、家を「其中庵ごちゅうあん」と称し、生涯でもっとも充実した日々をおくり「其中日誌」を残した。
この句は、昭和5年に旅の途中、晴天の下で、網代笠がさをとり、ひと休みしたときに詠んだもので直筆を復元して刻んでいる。

山口中央ライオンズクラブ
20周年記念事業
1991年3月 建立


種田山頭火像




銅像は小郡駅新幹線口前に建っています。

※2003年10月1日に『新山口駅』に改名されました。
(平成18年10月13日追記)


(平成15年7月25日)
小郡駅新幹線口
(現:新山口駅)
小郡駅

俳人種田山頭火
其中庵


本名正一、防府市出身、県立山口中学校(現山口高校)より早稲田大学文科に学ぶ、荻原井泉水おぎわら・せいせんすいに師事し、層雲派に所属する。
家庭の没落と生来の放浪性により一笠一杖に身を託し全国を行乞、俳句数万に及ぶ。
昭和7年9月当地(矢足)に結庵し其中庵と称す。
昭和13年10月、庵いたみて安住に堪えず、湯田(風来居)へ移住、更に四国松山(一草庵)に転住、昭和15年10月11日波瀾多き一生を終える。
享年59
この其中庵は平成4年3月に当時の建物を復元したものである。

小郡町教育委員会

(説明板より)

其中庵入口




其中庵(ごちゅうあん)入口





(平成15年7月27日訪問)
其中庵 其中庵

入場無料です。
小郡駅から徒歩20分とのことですが、ちょっとわかりづらい場所かも知れません。タクシーで行くのが便利かもしれません。
其中庵の内部 其中庵の内部

其中庵のいわれ

山頭火が好んだ言葉に、法華経の普門品第二十五にある「其中一人作是唱言」という一節があります。
意味は災難に遭った時、又は、苦痛に苛まれた時に、其の中の一人が「南無観世音菩薩」と唱えると、観世音菩薩は直ちに救いの手を差し伸べられて、皆を救われ、悩みから解き放たれるという事で、山頭火は結庵する時には庵名を、この一節の中の「其中」にすると決めていました。
「其中庵」の語源は、この「其中一人」を自分に置きかえて、その一人が住む庵ということで「其中庵」となったのです。

平成4年3月完成
小郡町教育委員会

(説明板より)


其中庵休憩所



其中庵のすぐそばに「其中庵休憩所」と駐車場があります。





(平成15年7月27日)
休憩所内部に山頭火のパネル資料が展示してありました。 休憩所内部
山頭火の句碑 山頭火の句碑

「母よ
うどんをそなへて
わたくしもいただきます」


(休憩所入口に建っています)

母よ
うどんそなへて
わたくしもいただきます

山頭火


昭和13年3月6日、母の四十七回忌の其中日記に「かなしい、さびしい供養」と書き、この句が添えてある。
母の位牌は旅にも同行し、供養を忘れなかった。
この句は願われても書かず、村瀬汀火骨がとくに頼むと書き終わってから、はらはらと涙をこぼしたという。
供養のため庭園に「水琴窟」を築いた。
書跡は山頭火の直筆。

平成5年3月6日 建立
小郡町教育委員会

(説明板より)


句碑



句碑
(長野県長野市・善光寺)





(平成20年10月28日)

漂泊の俳僧種田山頭火今を距■六十年の昔善光寺に参詣隨喜讃佛の旅日記を遺した
茲に自筆日記の一節と吟詠二句を拡大刻字して碑をつくり奉献する

平成8年5月28日
三河知多山頭火の会
岡島良平書

(碑文より)

善光寺



善光寺

(長野県長野市元善町)





(平成20年10月28日)





句碑

(大分県中津市・東林寺)

『阿なたを 待つとて まんまるい月の』




(平成23年2月11日)





東林寺

(大分県中津市鷹匠町911)




(平成23年2月11日)

一草庵



一草庵

(愛媛県松山市御幸1−455)





(平成19年11月9日)
一草庵



一草庵
(愛媛県松山市御幸1−455)





(平成19年11月9日)
一草庵内部



一草庵内部
(愛媛県松山市御幸1−455)





(平成19年11月9日)

一草庵

放浪の自由律詩人、種田山頭火の終焉しゅうえんの地である。
道後温泉の湯と酒を愛し、人情こまやかで詩情豊な地・松山を選び、一草庵と名づけ余生を過した。

(説明板より)

句碑



句碑
(愛媛県松山市御幸1−455・一草庵敷地内)





(平成19年11月9日)

昭和14年12月15日
〜一洵君に連れられて新居へ移って来た。御幸山麓御幸寺境内の隠宅である。高台で閑静で、家屋も土地も清らかである。〜

一洵君に
  おちついて
    死ねそうな
       草枯るる

               山頭火

没後55年にあたり句碑建立
鉢の子会

(説明板より)

句碑



句碑
(愛媛県松山市御幸1−455・一草庵敷地内)





(平成19年11月9日)

鐵鉢てっぱつの中へも霰あられ
                  種田山頭火

山頭火は本名種田正一、山口県防府市に生まれ、松山に来住しこの地で没した。
荻原井泉水おぎはらせいせんすい門の俳人。
昭和7年1月8日福岡県芦屋での作。
昭和16年3月21日建立。

春風の鉢の子一つ

昭和48年3月21日(春分の日)建立。
(33回忌は昭和47年10月11日)山口県小郡町其中庵ごちゅうあんでの、昭和8年3月19日の句。
前日大山澄太来庵。
「貰い物多く、其中庵(山頭火の庵の名)稀有けうの饗宴きょうえんとなる。」と記している。

にごれる水のなかれつゝ澄む

平成2年10月10日建立。
この日は山頭火死去の祥月命日しょうつきめいにちの前日に当たる。
句は死去約一月前の句で一草庵の前を流れる樋又川ひまたがわにわが人生を観じた句

松山市教育委員会

(説明板より)


 (関連商品のご紹介)

種田山頭火



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