鉄道第1連隊

(通称号:統5571部隊)

編成地 編成時期 終戦時の所在地
東京 明治29年 中国・株州

明治29年11月、鉄道大隊として東京・牛込の陸軍士官学校内に創設。
鉄道2個中隊・電信1個中隊・材料廠により編成。
明治30年6月、東京・中野に転営。
明治35年、12個中隊に拡充され鉄道隊となる。
明治40年10月、第2大隊のみ千葉県・椿森に転営。
同年11月、鉄道隊本部及び第1大隊の全てが千葉県・椿森に転営。
大正7年5月、鉄道第1連隊となる。


兵営跡
椿森公園
椿森公園

(千葉県千葉市中央区椿森2丁目)

このあたりが連隊兵営の南東角になります。
これといって連隊跡を示すものはありませんでした。
大きな記念碑とか、教育委員会の史跡説明板の一つぐらいあってもよさそうなものなのですが・・・

(平成16年8月28日)

軍都と呼ばれた千葉・鉄道聯隊の移転

市域への軍関係施設の進出は、明治41年(1908)の交通兵旅団と鉄道聯隊第2大隊の椿森への移転に始まります。
鉄道聯隊は東京中野に設置された鉄道大隊がその前身になります。
自動車が用いられていない当時、陸運の中心は鉄道であり、軍隊・軍需品の輸送の多くは鉄道に依存していました。
そこで戦地における鉄道の建設・修理・運転や、敵の鉄道の破壊に従事する部隊が編成されたのです。
この部隊は日露戦争に参加して鉄道建設などに活躍しましたが、広大な中国東北地方を舞台としての活動であったために、その規模の不足が明らかになりました。
そこで明治40年3個中隊から12個中隊へ拡張し、翌年にかけて千葉(2個大隊)・津田沼(1個大隊)に移駐しました。
このとき中野の跡地に電信隊と気球隊が設置され、鉄道聯隊と3隊で新設の交通兵旅団を構成しました。
この旅団司令部は鉄道聯隊千葉兵営の向かいに置かれました。
その後市域には次々と陸軍関係の学校や施設がつくられ、昭和初期には軍都と呼ばれるほどでした。

(千葉市立郷土博物館の「近現代5・軍都と呼ばれた千葉」のパネル解説シートより)

椿森集会所 椿森集会所

椿森2丁目の住宅街の中にあります。
この集会所の脇の庭に記念碑がありました。
鉄道隊駐屯の跡の碑 『鉄道隊駐屯の跡』の碑

昭和40年10月23日
全鉄連会・鉄築会建立
鉄道大隊記念碑


鉄道大隊記念碑

明治36年に北清事変従軍現存将校5名により建立




(平成16年8月28日)

碑の表は漢文で書かれています。
要約すると、北清事変における鉄道大隊の略歴(明治33年7月臨時鉄道隊出発、明治34年4月凱旋)、隊長の吉見精工兵大佐が病死した話、武田禮作工兵中尉が戦死した話などが書かれていました。
碑の裏には「北清事変に於ける鉄道の図」という鉄道路線図が描かれており、吉見大佐、武田中尉の他、病死者5名の名が刻まれていました。


演習場跡
千葉公園 千葉公園
(千葉県千葉市弁天)

鉄道第1連隊演習所跡

旧陸軍鉄道連隊が明治41年(1908)、旧千葉町都賀つが村(現・椿森つばきもり)と津田沼町に設置され、大正7年(1918)の改編により千葉町に鉄道第一連隊、津田沼町に第二連隊が設置された。
鉄道第一連隊演習所は、現在の千葉公園の綿打池わたうちいけ付近から競輪場一帯で、池の対岸に架橋かきょう演習に使用したコンクリート製の橋脚きょうきゃくや、ここから北西約150mのところにトンネル工事演習に使用したコンクリート製のドームがあり、昔日の面影を残している。

(説明板より)

説明板の地図 説明板の地図より

荒木山 荒木山
(千葉公園内)

荒木山の由来

千葉公園及びその周辺は、鉄道連隊〔1908年(明治41年)設置〕の演習場跡であり、今でも公園内のコンクリートの架橋台やトンネルにより演習場の面影を伝えております。
当時、この小高い丘は連隊のラッパ手の訓練が行われ、「喇叭山らっぱやま」と呼ばれ親しまれていましたが、殉職した荒木大尉を悼いたむ鉄道第一連隊の兵達により銅像が建立されたため、以後『荒木山』と呼ばれるようになりました。
その後、物資窮乏の時局を迎えて、銅像の姿は消えてしまいましたが、今でも、この小高い丘は『荒木山』と呼ばれ、市民に親しまれております。

(説明碑文より)


荒木克業工兵大尉

満州事変の際、興安嶺の鉄道に、我が列車めがけて突進してくる敵列車めがけて、単身、脱線器をひっさげて進み、身をもって転覆させるとともに自分も散ったという。

(平成19年9月13日追記)


演習用架橋の一部 演習用架橋の一部
演習用架橋台 演習用架橋台

架橋台の銘板 架橋台の銘板より

演習用トンネル 演習用トンネル
(千葉市中央区弁天3−1−1)

千葉公園沿いの千葉市中央・稲毛公園緑地事務所の敷地内にあります。
演習用トンネル
演習用トンネル

内部には青色のビニールシートの小屋らしきものが・・・
更に洗濯物まで干してありました。
ホームレスの家?
管理事務所の敷地内なのに?
貴重な歴史遺産だと思うんですけど、こういう扱いはいかがなものだろうかと思いました。

(平成16年8月28日)

広軌軍用機関車

昭和6年の満州事変後、大陸に益々進出した日本陸軍は、この地の鉄道の大部分が広軌(1435ミリの国際標準軌)であったことから、これに見合った広軌用機関車の開発・生産を要求し、広軌用機関車が2両造られた。
1号車が昭和8年に鉄道第2連隊に、第2号車が鉄道第1連隊にそれぞれ配備された。
この広軌機関車は、満鉄(南満州鉄道)のミカロ型をモデルにしたような外観をしており、さらに空気圧縮器2基を前方につけて装甲を厚くしたため、装甲列車の牽引車としても使用された。
全備重量は約8トンである。

九〇式広軌牽引車

シベリア出兵以来、大陸における作戦では鉄道部隊も第一線部隊と共に戦闘に参加する必要性が生まれた。
このため満州事変ころから鉄道戦闘および修理作業用に各種の装甲車や牽引車が装備された。
昭和6年、満州事変が勃発した時に鉄道第1連隊および鉄道第2連隊に十数両の広軌牽引車が貨車と共に配備された。
当初配置された広軌牽引車は、陸軍の依頼で石川島自動車製作所で開発されたもので、昭和5年に完成し「スミダPA型広軌牽引車」と呼ばれ、「九〇式」の制式名が与えられた。
この車両は、スミダ6輪トラックを改造したもので、通常の道路をゴムタイヤで走ったが、鉄道レール上は鉄輪を装着して貨車を牽引した。

九五式装甲軌道車

広軌牽引車と同じ用途で、昭和10年に開発された鉄道車両。
その外観は、広軌牽引車とは一変して戦車然としたものとなり、全体に小銃弾に対する装甲が施されていた。
その足回りは軌道上の鉄輪を、軌道外は履帯に換装して、不整地でも自由に行動することが可能であった。
この装甲軌道車は、工兵出身の深山少佐のアイデアを実用化したもので、彼の苦心の作といわれている。
製作は東京瓦斯電気工業株式会社が行なった。
やがてこの車両は、その時の皇紀年号をとって「九五式」と命名され、しばらくは秘密兵器として扱われた。
後に三菱重工業でも生産され、約56両が完成した。
九五式の使用軌間は、1000ミリからロシア広軌の1624ミリまで自由に変えることができた。
線路上の姿勢は4個の鉄輪によって車体全体を支え、履帯を浮かせる構造で、この鉄輪に動力を伝えて軌道上を走行した。
軌道上の走行から路上走行にする場合は、乗員は車外に出ることなく、操縦手1名の操作で行うことができた。
その方法は、エンジンの動力を用いて車輪を揚げ、履帯を接地させて動力の伝導を切り換え、履帯を動かして線路外へ出るというもの。
この切り換え作業は、車内で操作するだけで1分以内で完了したことから、その迅速性は鉄道戦闘で最大の威力を発揮した。
九五式装甲軌道車は、軽戦車とほぼ同一の装甲を持つことから戦車砲か機関砲の装備が望まれたが、鉄道兵が使用する車両の一部として考えられたため、乗員が持つ小銃だけで戦闘を行うこととされ、車内に五ヵ所の銃眼が装備されるに留まった。
九五式装甲軌道車のエンジンはガソリン6気筒で、速度と軽貨車に対する牽引力は九一式広軌牽引車とほぼ同じレベルであった。
(九一式は路上で時速約40キロ、線路上で単車時速約60キロ、軽貨車4両を牽引して時速約40キロで走行できた)

九五式は昭和10年末から鉄道第1連隊と鉄道第2連隊に1両ずつ配備され、操作訓練が行われた。
昭和12年の日中戦争勃発後、鉄道部隊も中国戦線へ動員され、鉄道第1、第2、第5、第6の各連隊が出動した。
この時、九五式装甲軌道車は工場で製作中だったが、生産ピッチを上げて各部隊に配備された。

全長:4.53メートル
全幅:2.50メートル
全高:2.45メートル
乗員:6名(?)
装甲厚:銃塔4〜6ミリ、車体4〜8ミリ
機関:空冷6気筒ガソリン

3500型機関車

明治27年(1894)、日清戦争の最中にイギリスのピーコック社より輸入された機関車。
大正末期に鉄道第1連隊と鉄道第2連隊に1両ずつ配備された。
この5500型は太平洋戦争終戦までの長い間、部隊の屯営附近演習線を利用して行われた敷設・撤収作業の訓練や鉄道戦闘に利用された。

陸軍ミカ型機関車

大陸での九四式装甲列車の開発に伴って、内地の鉄道連隊で装甲列車要員への教育が行われるようになった。
昭和9年、教育用機関車として特殊ミカ型車の車体にミカサ型の炭水車をつけたIDI加熱テンダー機関車「陸軍ミカ車」が汽車製造株式会社で製作された。
その1号車は津田沼の鉄道第2連隊に、2号車が千葉の鉄道第1連隊に配備された。

(参考:高橋昇 著 『軍用自動車入門』 光人社NF文庫 2000年3月発行)

(令和2年4月5日 追記)


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