野砲兵第5連隊

(通称号:鯉5179部隊)

編成地 編成時期 終戦時の上級部隊 終戦時の所在地
広島 明治11年:広島鎮台砲兵第5大隊創設
明治12年:山砲兵第5大隊に改編
明治17年:野砲兵第5連隊に改編
第5師団 セラム島

日清戦争緒戦、第3大隊を大島旅団に配属し、成歓付近に布陣する清軍に対し歩兵第11連隊基幹の左翼隊に協力。
歩砲協同して堅陣を次々と攻略する。
その後北上し、平壌、鴨緑江の戦闘に参加。
明治33年、北清事変に出動。
日露戦争では当初は第2軍に所属、6月からは第4軍に所属して、遼陽、沙河、奉天会戦に参加する。
当初は山砲編制だったが、本戦争中に野砲に換装した。
明治39年1月に復員。
明治44年から大正2年まで満洲駐留。
大正8年から9年にかけてシベリア出兵。

支那事変では、昭和12年7月に動員下令。
長城戦、チャハル戦、太原攻略戦に参加。
昭和13年、徐州会戦に参加。
昭和13年9月、第21軍隷下となり、広東攻略戦に参加。
昭和14年9月、ノモンハン事件で関東軍増援のため大連に集結したが休戦のため参加せず。
11月の南寧作戦に参加。

大東亜戦争開始と共にマレー作戦に参加。
軍の先遣部隊として主力はシンゴラに上陸してジットラ陣地を突破する。
昭和17年1月、ジョホールバルを占領し、引き続きシンガポール攻略戦に参加。
この作戦では船舶輸送力の関係で馬や自動車等が削減されたため敵軍の押収自動車を利用した。
昭和17年末から第8方面軍に配属となり、ジャワ島に展開。
昭和18年、パンダ海、西部ニューギニアに展開。
昭和19年、ケイ島、セラム島の警備を担当、そのまま終戦を迎えた。


野砲兵第5連隊跡碑




野砲兵第五聯隊跡碑

(広島市中区基町20・基町小学校グラウンド脇緑地帯)





(平成22年5月1日)

碑文

野砲兵第五聯隊は、明治11年4月、広島に創設された。
日清戦争から太平洋戦争に至るまで幾多の戦争に国家民族の興隆発展を祈念しつつ出動し、一身を犠牲にした。
昭和20年8月、終戦とともに数々の想い出を残し、69年の歴史の幕を閉じた。
ここに、聯隊跡碑を建立し、亡き戦友と戦禍に斃れた多くの人々の御霊を慰める。

昭和59年12月 建立
平成 6年 8月 改刻
元野砲兵第五聯隊生存者一同

野砲兵第5連隊跡
(広島県広島市中区基町・基町小学校付近)




軍馬之碑
(広島県広島市中区基町・広島城の堀沿い北西の角)

昭和8年10月 野砲兵第5連隊将兵一同建之
昭和37年7月復元 山吹会員一同



(平成22年5月1日)





軍馬之碑
(広島県広島市中区基町・広島城の堀沿い北西の角)





(平成22年5月1日)



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