第18飛行場大隊


慰霊碑



第18飛行場大隊
慰霊碑

(愛知県幡豆郡幡豆町・三ヶ根山頂・比島観音霊場)




(平成20年4月16日)

碑文

第18飛行場大隊は昭和14年旧満州牡丹江海浪飛行場にて航空部隊の改編により飛行第16聯隊第2整備中隊を基幹として編成された。
同年ハイラル方面に出動し、ノモンハン事変に直接参加、昭和16年大東亜戦劈頭航空先遣部隊として、主力は12月10日比島ビガンに一部は同22日リンガエン湾に敵前上陸、爾後比島各作戦に参加後、中支、北支、蒙彊に転戦、本土決戦にあっては、南満洲に移動展開したがついに終戦となる。
部隊の主力はシベリヤの地に抑留さる。
大隊編成以来復員に至る迄、戦死、殉職或いは病に斃れた幾多戦友の偉業を偲び敬虔なる追悼の誠を捧げ、もって亡き戦友の冥福と人類永遠の平和を祈念するものである。

昭和57年4月
戦友有志一同


【飛行場大隊】

飛行場大隊は機体、エンジンの整備、修理を行なう整備中隊(ガソリン車、起動車をもつ)と警備中隊からなっていた。
警備とは敵兵から飛行場を守る歩兵や九八式20ミリ高射機関銃で防空の任に当たる兵力である。

基地でのガソリン車としては「いすず」の九四式六輪と四輪のトラック(1.5トン、70馬力)やトヨタの九七式2トン・トラックが用いられた。
防空用の九八式20ミリ高射機関砲は6門を単位とし、105名で1個中隊をなしたが、これを飛行場が装備したのは昭和18年以降のことである。

夜間、飛行場防衛用には直径1.5メートルの探照灯自動車(「いすず」六輪車、70馬力)が昭和11年に採用になった。

(参考:木俣滋郎 著 『陸軍航空隊全史』 朝日ソノラマ 文庫版航空戦史シリーズ90 1994年7月 第6刷発行)

(平成31年1月4日 追記)


【第2中隊】

飛行第16戦隊の航空機の整備補給が任務。
昭和16年11月23日、大連港出港、釜山港に寄港、12月1日に高雄港外に到着。
歩兵部隊が乗船し、膨湖島の馬公へ移動。
3日間、上陸訓練を行う。
昭和16年12月7日出港。(乗船は『大井川丸』)
12月10日頃、ルソン島イロコスール州ビガン南方サンタ西方2キロの海岸に上陸。
クラーク飛行場にて台湾からの飛行第16戦隊の受入れ準備。
昭和17年3月頃、第18飛行場大隊連絡用に九七式重爆撃機1機が配備される。



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