一式戦闘機・隼


一式戦闘機・隼 平成19年3月28日

鹿児島県川辺郡知覧町・特攻平和観音

一式戦闘機・隼



一式戦闘機・隼
(復元模型)
(鹿児島県知覧町)





(平成19年3月28日)
一式戦闘機・隼



一式戦闘機・隼
(復元模型)
(鹿児島県知覧町)





(平成19年3月28日)

一式戦闘機「隼」

“特攻の母”として知られる鳥濱トメさんの視点から、若き特攻隊員の無残にも美しい青春を描いた、映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」(2007年5月12日公開作品、製作総指揮・石原慎太郎)で実際の撮影に使用された「隼」。

大東亜戦争(戦後は太平洋戦争ともいう。)において、陸軍の主力戦闘機として活躍した一式戦闘機「隼」V型甲をモデルに当時の資料や少飛会の意見を取り入れて忠実に復元製作された。
「隼」は当時知覧の特攻基地からは九七式戦闘機に次いで多い120機が飛び立っている。

(平成19年2月 知覧町)

(説明板より)


パプアニューギニア独立国・ニューブリテン島ラバウル・ココポ博物館
AIRCRAFT WING KI-43 "OSCAR"
JAPNESE FIGHTER

旅日記参照

(平成21年3月3日)

中島一式戦闘機『隼』(キー43)

九七式戦闘機が採用になった直後の昭和12年12月に一式戦の試作が指示された。
このキー43(一式戦)に対する要求は、キー27(九七式戦)と同じ程度の格闘性を持ちながら、速度、航続力を大幅に向上させることを狙ったものだった。
設計担当者は、主任小山悌技師以下、本田稔、青木弘、糸川英夫技師たちで、昭和13年12月に第1号機が完成した。
しかし、1000馬力級の二重星型エンジン、可変ピッチペラ、引込脚など、幾多の新機軸を取り入れたにもかかわらず、速度、上昇力が九七式戦にいくらか優る程度で、空戦性能は、はるかに劣るという惨憺たるものだった。
3機の試作機に続き、昭和14年11月から昭和15年9月までに10機の増加試作機がつくられ、数々の改修が試みられたが、飛躍的な性能向上は認められず、採用は絶望的となった。
しかし、昭和15年秋、キー44用の蝶型空戦フラップを、第11号機に装備したところ、空戦性能が著しく向上した。
更に本機にとって、救いの神となったのは、南方進攻作戦の計画で、この作戦を実行するためには、九七式戦では航続力が不足で、どうしても、足の長い戦闘機が必要となったのである。
かくして、形勢は一転し、昭和16年4月、、キー43は、一式戦闘機として採用され、昭和16年夏に中国戦線でデビューした。

(1型)
翼面積 22平方メートル
エンジン ハー25(950馬力)
2翅プロペラ
過給器空気取口は機首下面
武装 (甲)7.7mm2挺、(乙)7.7mm、12.7mm各1挺、(丙)12.7mm2挺の3種。
主に丙装が使用された。
最大速度は490km/時
照準器は眼鏡式。
日米開戦と共にマレー作戦、パレンバン作戦、ビルマ作戦で活躍。
ラバウルにも進出した。

(2型)
昭和18年初め頃から、速度向上のためエンジンをハー115(1150馬力)に換装し、主翼面積を21.4平方メートルに縮小した2型が登場。
主翼面積の縮小により翼端の形状が変わる。
風防の形状も変更。
1型の特徴であった機首前面の環状冷却器は廃止され、機首下面に普通のハチの巣式オイルクーラーが設けられた。
過給器空気取入口は、機首上部に移され、プロペラは3翅となる。
武装は1型丙と同じ。
最大速度は515km/時に向上。
なお2型には、(甲)集合排気管式、(乙)推力式集合排気管、(丙)単排気管式の改型の3種があった。
照準器は光像式。
1型に替わって、ビルマ、ソロモン、ニューギニア、比島方面で活躍。

(3型)
昭和19年10月頃、エンジンを水メタノール噴射式のハー115−Uに換装した3型甲が登場。
昭和19年4月、第1号機初飛行。
3機の試作機が中島で作られたが、量産は立川飛行機で行なわれた。
速度は555km/時に向上したが、12.7mm機銃2挺という武装の貧弱さが致命的となり、20mm砲装備の3型乙が試作され、防空戦闘機として審査が行なわれたが、結局不採用となった。

(4型)
ハー112装備の4型が計画されたが実現せずに終わっている。

一式戦隼は、構造上の関係で翼内砲は装備せずに終わったが、これは近代戦闘機としては珍しいケースである。
速度、高空性能、火力等は十分と言えなかったが、運動性、操縦性、航続距離が優れていたうえ、故障が少なく、整備、取扱いも容易であった。
終戦までに中島、立川、航空廠あわせて5751機が生産された。
これは零戦に次ぎ日本第2位の生産数で、陸軍戦闘機中、最高の生産数を誇る。

(参考:月刊雑誌『丸』別冊 『日本兵器総集(昭和16年〜20年版)』 昭和52年発行)
(参考:『日本陸軍兵器集』 KKワールドフォトプレス 昭和57年発行)

(平成22年10月6日追記)


【資金不足】

初期の陸軍一式戦闘機「隼」が、機首左側には一式12.7ミリ機銃をつけたのに、右側の方は八九式7.7ミリで我慢しなければならなかったことなどは、資金の不足が実用兵器の威力をそいだ一つの例といえよう。

(参考:木俣滋郎 著 『幻の秘密兵器』 光人社NF文庫 1998年8月発行)

(平成31年4月11日 追記)


【蝶型空戦フラップ】

フラップのスタイルが蝶の羽根に似ていることから蝶型空戦フラップと名付けられた。
これは、射撃用の翼で、旋回性能を格段に上げ、射撃の時だけ短時間(1、2秒)で出し入れをし、速度を落とさずに敵機よりさらに小さく内側に旋回することができた。もともとは二式単座戦闘機「鍾馗」(キ‐44)用に考案されたものだったが、試作中の「隼」にも転用され、それまでの原型機と見違えるような性能を発揮、不採用になりかけた「隼」を救った。

(参考:『別冊歴史読本 零戦と日本航空戦史』 新人物往来社 1996年11月発行)

(令和元年11月27日 追記)


 平成26年4月30日

オーストラリア戦争記念館(オーストラリア・キャンベラ)

 The Oscar in the jungles
of New guinea beforeit
was recovered.
Nakajima Ki-43
OSCAR,
number 5465

The Oscar was the principal fighter aircraft
used by the Imperial Japanese Army from
1942 onwards.

The engine and tail section on display come from an Oscar
built in 1943.The planewas damaged by anti-aircraft fire and
crash-landed at a small airfield near Alexishafen,New Guinea.
The battered Oscar was subsequently destroyed by bombing
and strafing.

After the war the metal of the aircraft was partly salvaged
by local people and used to make tools and implements.
Wrecked Oscars at
Madang,New guinea,
being examined by
Australian troops.

(説明板より)



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