第40教育飛行隊 (鹿児島県川辺郡知覧町・特攻平和観音) (平成19年3月28日) |
第40教育飛行隊(西部第123部隊)由来
昭和19年知覧に第40教育飛行隊があり、7月から年末まで学徒出身の特別操縦見習士官第2期生136名の操縦教育が実施された。
その後部隊も見習士官も移動した。
それから半年の後、再び知覧に降り立った同隊の第2期生及び教官を含む47名がいるが、全員振武隊となり、思い出の飛行場から一路沖縄に出撃した。
なお第40教育飛行隊は菊池、各務原と移り陸航士第58期生86名、特別操縦見習士官第2期生50名及び第3期生61名の教育をつづけて終結した。
平成2年5月3日建之・平成14年3月31日修復
第40教飛の会
知覧特攻顕彰会
特操2期生会
(説明板より)
三角兵舎 (鹿児島県川辺郡知覧町・特攻平和観音) (平成19年3月28日) |
三角兵舎内部 (鹿児島県川辺郡知覧町・特攻平和観音) (平成19年3月28日) |
三角兵舎
三角兵舎は特攻隊員の宿舎でありました。
敵の目を欺くため、松林の中に半地下壕をつくり、屋根には杉の幼木をかぶせ偽装してありました。
各地から集まった隊員は2〜3日後には雲のかなた沖縄の空に散華されました。
出撃の前夜は、この三角兵舎で壮行会が催され、酒を汲かわしながら隊歌をうたい、薄暗い裸電球の下で遺書を書き、また別れの手紙等をしたためて、出撃して征ったのです。
ここに三角兵舎を復元し当時をしのぶよすがとするものであります。
(説明板より)
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