深谷城 ふかやじょう

(別称:木瓜城)

埼玉県深谷市本住町


深谷城跡 平成18年10月18日


深谷城跡

深谷城は、唐沢川、福川などに囲まれた低湿地に築かれた平城である。
室町時代中期の康正こうしょう2年(1456)、深谷上杉房憲ふさのりが、古河公方こがくぼうの侵攻に備えて、築城したと伝えられる。
土塁どるいや深い濠ほりを巡らした城は、面積約20ヘクタール、その形から木瓜ぼけ城とも呼ばれた。
天正てんしょう18年(1590)、豊臣秀吉の関東攻めによって開城するまで、憲清のりきよ、憲賢のりかた、憲盛のりもり、氏憲うじのりと、134年間にわたり、戦国時代の北武蔵における上杉方の支城であった。
徳川家康の関東入国後は、徳川一族や譜代家臣ふだいかしんの居城であったが、寛永かんえい11年(1634)、廃城となった。
現在は、深谷上杉氏の祈願社きがんしゃであった富士浅間ふじせんげん神社(智形ちかた神社)の社殿を巡る池と水路に、往時の姿をとどめるのみである。

(説明板より)

深谷城古地図





深谷城古地図
(『深谷城跡』説明板より)







(平成18年10月18日)

深谷上杉氏家紋碑



深谷上杉氏家紋碑

(深谷城址公園)





(平成18年10月18日)

深谷上杉氏家紋碑

碑文

深谷上杉氏は関東管領として勢威を振った山内上杉憲顕の子上杉憲英を初祖に南北朝の動乱期に北関東の新田氏の勢力や一揆を抑えるため廰鼻和ごばなわに城を構え憲光 憲長 憲信と北武蔵を治めた
康正2年5代房憲のとき古河公方の侵攻にそなえ廰鼻和より要害の深谷城を築いた
その後、憲清 憲賢 憲盛 氏憲が深谷城を守り続け天正18年豊臣秀吉の関東攻略により開城するまで戦乱戦国の世を一族9代にわたり深谷の治世に盡し今日の深谷の礎を築いた
深谷上杉氏の家紋「竹に雀」は環状の竹の内に二羽の雀を配した図柄である
この家紋は公家の藤原系勧修寺家が用いその子孫の武家上杉氏がこの紋章を東国にもたらしたものである
上杉諸家は多少図柄は異なるがいずれも「竹と雀」の紋章を用いている
この深谷上杉氏家紋に昔日の2百有余年の星霜の原点を偲ぶものである

平成2年3月1日
深谷ライオンズクラブ

深谷城址公園



深谷城址公園

(埼玉県深谷市本住町)





(平成18年10月18日)

深谷城址公園

この公園は深谷上杉氏の城址の一角に、市の文化教養の中心地区として、未来永劫にわたって市民のふるさととして親しまれることを願って整備されました。
深谷城址という歴史性を都市の躍動の中に融合させ、市民文化会館、コミュニティセンター、保健センター等が一体となって多様な利用がはかられることを基本に誰もが気軽に利用でき、みんなが施設を同じように使えるように工夫してあります。
芝生広場や花壇、休憩広場などがあり、園内の散策を楽しんでいただくために園路が設けられてあります。
途中、読書広場やあずまや、ベンチが設置してあります。
周囲には木々が生い茂り、草花も植えてあります。
春には桜も満開になります。
四季折々の姿を楽しんでください。

位置 深谷市本住町
公園面積 約1.8ha

深谷市

(説明板より)


史跡深谷城阯の碑

『史跡深谷城阯』の碑
(深谷小学校・校庭内)

“部外者立ち入り禁止”のため校庭脇道路より撮影。
碑の裏に碑文があるかどうかは不明です。
“立ち入り禁止”とは不親切極まりなし。
『史跡碑』なのに見学できないとは・・・・・


(平成18年10月18日)
深谷小学校



深谷市立深谷小学校
(埼玉県深谷市仲町19−1)





(平成18年10月18日)

深谷城外濠跡



深谷市指定文化財 深谷城外濠跡
(富士浅間神社)





(平成18年10月18日)
深谷城外濠跡



深谷市指定文化財 深谷城外濠跡
(富士浅間神社)





(平成18年10月18日)
富士浅間神社



富士浅間神社
(埼玉県深谷市本住町16)





(平成18年10月18日)

富士浅間神社ふじせんげんじんじゃ

この社の祭神は木花開耶姫命このはなさくやひめのみこと 瓊々杵命ににぎのみことで 社宝は宗源宣旨と宗源祝詞である。
明治以前には智形神社とよばれ、深谷城内に鎮守としてまつられた五社の一つで、永享えいきょう12年(1440年)勧請と伝えられている。
江戸時代、寛永年間、深谷城主酒井讃岐守が再興した。
深谷城は、上杉房憲が康正2年(1456年)古河公方こがくぼうとの戦いに備えて築城したもので、天正18年(1590年)豊臣秀吉の関東攻略により落城した。
江戸時代には、松平、酒井氏が居城したが、寛永11年(1634年)廃城となった。
この城は低湿地に取り巻かれた平城で、社をめぐる池と水路は深谷城外堀の名残りをとどめている。

昭和59年3月
深谷上杉顕彰会

(説明板より)


深谷城土塁



深谷城土塁

(高台院境内)





(平成18年10月18日)
永明稲荷神社



深谷城鎮守・永明稲荷社

(高台院境内)





(平成18年10月18日)
宝篋印塔



右の宝篋印塔:伝・深谷城第3代城主上杉憲賢の墓
左の宝篋印塔:上杉憲賢の室・高泰姫の墓

(高台院境内)




(平成18年10月18日)
高台院



高台院
(埼玉県深谷市田谷308)





(平成18年10月18日)

高臺院

当院の宗派は曹洞そうとう宗で 上杉氏の家臣高橋永明の創建と伝えられ 永禄年間寺が衰退した時 深谷城主上杉憲賢のりかたの内室ないしつ高泰姫たかやすひめが再興開基し 姫の法号をとって高臺院永明寺と称せられています
姫は元亀4年(1573)亡くなり 憲賢と高泰姫の墓が本堂左奥に建てられています
また裏には深谷城築城のとき城の鎮守ちんじゅとして城内にまつった永明稲荷社と土塁が残っています
文化財として高麗から伝わった螺鈿香台らでんこうだい、狐開帳絵馬きつねかいちょうえま、北亭為直ためなを筆の鎮西ちんぜい八郎為朝ためともの図、銅鐘(寛政時代・深谷宿住人佐野屋茂右衛門作)、北亭為直の墓などが市指定となっています

昭和57年3月
深谷上杉顕彰会

(説明板より)


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