4.最悪の式典

(真珠湾)


現地時間:平成21年(2009年)12月7日

今日は、早朝から真珠湾の開戦記念式典に参加する予定。
一昨日会ったディバジリオさんが連れて行ってくれることになっている。
が・・・午前6時の待ち合わせ時間になっても来ない・・・・
30分近く遅刻してようやく迎えに来た。
話によると、車が故障したので、代わりの車を調達するのに手間取ったという。

午前7時半から式典が始まるということらしいので、急げ!急げ!である。(笑)
通勤ラッシュの中、式典会場の海軍基地へ・・・・
基地内の駐車場に続々と車が入っていく。
軍の担当者が、ゴルフ場のカートみたいな電動車で待機している。
たぶん、ご高齢の参列者の為の“送迎車”なのだろう。
「どうぞ乗ってください」と言われたが、お断りする。
せっかくだから基地内を歩いてみたい。

駐車場から会場までの送迎車
接客係の方は、さすがに容姿端麗・・・・美男美女である(笑)
基地内の岸壁から見た景色
向こうにあるのはフォード島・・・・
「アリゾナ記念館」の白い建造物が見える

会場となっている「倉庫」のような建物へ徒歩で向かう。
と・・・入り口で下士官に声をかけられた。
「案内を担当する○○○です!お名前をお教えください!」とのこと。
え〜と・・・何という名で申し込んであるのだろう?
ディバジリオさんを呼んで対応してもらったら・・・
あれ!
この下士官が言うには、招待者リストに我々の名前は載っていないというのだ!
うそ・・・
「ちょっとここで待っていろ」と言って、ディバジリオ氏はどこかへ行ってしまった。
先ほどの下士官は、他の参加者への応対に行ってしまい・・・・
大勢の人がいる会場の中で橋本さんと2人でポツ〜ン・・・・
なに・・・これ・・・

式典会場

しばらく待たされて、ディバジリオ氏に案内されたのは、会場の一番後ろの席。
ここは、どうも軍関係者とその家族が座る席らしい。
間違っても我々は“日本代表”ではないな。(笑)
今回の話は予科練の戦友会で役員をされている吉田さんからの話である。
我々2人も、その戦友会の会員である。
その吉田さんから「手配をしてやるからぜひ参加しろ」と言われて橋本さんが受けたので、もしかして会の代理としての参加かなと思ったのだが・・・
どうも、そういう立場での参加というわけではなさそうである。
どういう立場での参加なのかは橋本さんも吉田さんには尋ねなかったようである。
とにかく一番後ろの席に座らせられたのだから、“来賓”ではないことは明確である。
う〜ん・・・スピーチの用意をしてきたが、これは必要ないみたいだな・・・・(笑)
ご協力いただいた古沢さんには申し訳なし。
で・・・ディバジリオ氏は我々に「ここに座れ」と命じた後、どこかへ行ってしまい、とうとう戻って来ない。

式典が始まり、海軍の軍艦が会場に近づいてきた。
礼砲か何か撃つのかと思ったら、なにもなくス〜ッと通り過ぎて行った。
お偉いさんのスピーチ

来賓のお偉方のスピーチ・・・・
海軍司令官やら、ハワイ州知事なのかワイキキの市長なのか誰だか知らないけど・・・そういう偉い人のスピーチ。
“日本代表”のスピーチもあった。
ん?「日本代表」っていたんだぁ〜
で・・・この“日本代表”が、「なんとかかんとか」という宗教団体の連合会の代表。
宗教団体?
宗教団体の代表が“日本代表”なのか?
何だろ・・・それ・・・(唖然・・・である)
スピーチの内容は陳腐で何の感動もないものだった。(失礼ですが・・・)
日本の宗教家を代表して、ここに立てたことが嬉しい・・・・という内容だ。
「日本の宗教家」を代表しているのか?(各宗派の許可をもらっているのだろうか?・・・笑)
この“日本代表”のスピーチ内容なら、古沢さんに手伝ってもらって作った私のスピーチ原稿の方が数段上である。(生意気なことを言いますが)
真珠湾攻撃で17歳という若さで戦死した武田友治のことも紹介してるんだから・・・(笑)
日本人だって戦死したんだからね。真珠湾で・・・・
そのことも知ってもらいたいものである。
そして、そこから、戦争というのは、将来性のある若い人の芽を摘んでしまうのだということも考えてもらいたい。
将来性のある命と引き換えにしてまでやる意味があるかどうか・・・・
(やる意味がある、命と引き換えにするだけの価値がある・・・というなら私は戦争を肯定しますが・・・)
中東やアフガニスタンでドンパチやっているアメリカ人に向かって、陳腐な「世界平和」「人命尊重」を言ってもねぇ〜
どうだろうか・・・・
この代表が日本語で挨拶した後、通訳の女性が英語で通訳した。
なんと・・・
少なくとも、多少下手でもご自身で英語でスピーチをすべきじゃないのかね〜?
どうせ原稿を読みながらのスピーチなんだから・・・・
正直言って私は“シラケ”てしまった。

その後、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネル(?)のプロデューサーか何かが、太平洋戦争全般についてプレゼンテーションをした。
が・・・この話の時系列が、行ったり来たりでなかなか話の流れがわからない。
日本軍の事を、とやかくいう部分もあったのだが、それならお前らが落とした原爆の事も話せと突っ込みたくなる。
しかも・・・話が長い!
さすがに飽きてくる。
私には英語を長時間聞くほどの集中力はないのである。(笑)
ふと、10月のスリガオでの式典での“ジンジャーさん”のプレゼンテーションを思い出す。
歳をとると話が長くなるのか、それとも米国人はそもそもそういう人種なのか・・・
とにかく、もういい加減にしろと言いたくなるくらい話が長かった。

真珠湾攻撃の生還者等による献花式
会場の様子
私たちは、ステージが見えないほど後ろの席に座らされた。

そのあと、真珠湾攻撃の生還者の紹介等などや花輪を供える儀式なんかがあって・・・
ようやく終了か・・・と思ったその時・・・
どこからかディバジリオ氏が現われ、我々に席を立てと急かしたのである。
ん?
まだ完全に式典は終わっていないので、誰も立ち上がらないのに・・・何で、我々だけが?
目立つんだよなぁ〜こういう行動って・・・・

で・・・「先に行ってあのボートに乗れ」と命じられた。
今からボートに乗って「アリゾナ記念館」へ行くらしいのだが、その一番最初に出航するボートに乗れというのである。
しかし・・・彼はなぜか人影に隠れて「行け!行け!」と手で我々を追い払う。
おかしい・・・何で彼は我々と一緒に行かないんだ?
何でエスコートしないんだ?

乗船口

乗船口まで行ってみたが、どうもおかしい・・・
担当者が乗船者と名簿とを付き合わせているのである。
ん?
これ・・・ダメなんじゃないか?
だいたい、我々は招待客名簿には載っていない。
だから式次第すらもらえなかったのである。
座席は一番後ろの空いている席に座らされているし・・・
他の一般参列者ですら、胸にそれを示すIDカードを付けているというのに我々2人は何も付けていない。
つまり、我々が何者かを示すものは何もないのである。
最大の問題は、ディバジリオ氏が我々と同行せず身を隠すという不審な行動をしたことである。
この時、私はこう思ったのである。
彼は我々を“ダシ”にしているのではあるまいか?
何とかかんとか私が交渉してうまく我々が乗船できたら、あとから我々を探すふりをして乗り込もうという算段なのではあるまいか?(笑)
とにかく我々が「招待客」ではないのは明らかだから、そういう手を使うしかないということではあるまいか?
つまあり、我々は、勝手に基地内に入り込んだ“闖入者”なのである。
まったく、やってくれたよなぁ〜吉田さんも・・・・
なにが「式典に参加できるように手配しておいた」だ・・・・

まもなく、担当下士官が「一般参列者は右側に列を作ってください!」と叫んだ。
が・・・我々は「一般参列者」なのか?
はて?・・・と橋本さんと顔を見合わせる。(笑)
まもなく、海軍司令官や日本からの“代表”という宗教団体の面々が乗船し始めた。
偉い人たちが1番船に乗るのは当然だよなぁ〜
その船に我々「身元不明者」が一緒に乗れるのか?

“日本代表”と称する、宗教団体の方々・・・・
1番船、出航前の様子

「やめよう!帰ろう!」
私は短気なのである。
だんだん腹が立ってきた。
どうして来賓たちが乗るボートに名簿にも載っていない我々が乗れる?乗れるわけがないだろう?
下手に交渉したら恥をかくだけだぞ。
それにあの、わけのわからん日本の“宗教家”と一緒に行動なんてしたくもない!
橋本さんも、私の意見に賛成してくれたので、帰ることを伝えようとディバジリオ氏を探すが見つからない。
散々、会場内を行ったり来たり探し回ったのだが・・・・
1000人以上もいるアメリカ人の中から探すのは困難である。
彼が、我々“目立つ”日本人を見つけるのは簡単だろうが・・・
我々がアメリカ人の中からアメリカ人を探すのは至難の業である。
みんな同じ顔に見えてしまうのである。(大笑)
しかも、この多くの米国人たちからはジロジロ見られるし・・・・(まぁ、日本人だから目立つんだろうが・・・)
あ〜不愉快だ!

ええい!面倒だ!帰っちまえ!
いくら探しても彼が見つからないんだから・・・・もうこうなったら仕方がない。
無断で帰るしかあるまい!

実は、午後から橋本さんはオプショナルツアーの申し込みをしているのである。
昨日、私はチャールズさんに「ハロナ・ブロウ・ホール」に連れて行ってもらったが、橋本さんは行っていない。
武田友治の乗機が墜落した現場ではなさそうであるが、橋本さんも実際に現地を見ておきたいという。
で・・・そちら方面に行くツアーがあったので、彼一人で申し込んでいたのである。
だから、なんとしてもお昼までにはホテルに戻らねばならぬのだ。
しかし、我々は式次第をもらっていないから、この式典が何時まで続くのか知らない。
どうも、これからボートに乗って「アリゾナ記念館」へ行くようだが・・・
これだけの人数をピストン輸送で運ぶとなったら、とてもじゃないがお昼までにホテルに戻る事は困難だろう。
ディバジリオ氏の話では11時ごろに終わると言っていたが、どう考えても危ない。
もう10時を過ぎているんだから・・・・
一言声をかけて帰ろうと思ったが、肝心のディバジリオ氏がどこを探しても見当たらないんだからどうしようもない。

「こうなったら、勝手に我々だけで帰りましょう!」と橋本さんを誘って帰ることにした。
が・・・問題はここから・・・
どうやって帰ればいいのか知らないのである。(大笑)
ちょうど、電動車で送迎をしていたあの彼女がいたので尋ねたら「あそこにいる士官にお尋ねください」と言う。
ギョェ〜
数人の兵たちを統率して訓示か何かをしている、あの偉そうな人に英語で話しかけねばならんのか?(汗)
「エクスキューズミ〜!」
冷や汗タラタラの英会話・・・・(涙)
「車で帰るんですか?」
「いや、徒歩で基地から出たいんですけど・・・ゲートまでの道順を教えてください」
もう、必死のヒヤリングとスピーキングである。(笑)
我々は車に乗って来たので、どこをどう通ったのかよく覚えていないのである。
よ〜く相手の話を聞かねば、広大な基地の中で迷子になってしまう。
しかも、“不審者”に間違われたらおおごとである。

基地内の各所で警備に当たっている兵士に会うたび、声をかけ、道順を確認しながら基地内を移動して、何とかかんとか無事に基地の外に出た。
で・・・これからどうやって帰る?(笑)
近くで道路工事をしている人にも尋ねながら近くのバス停に向かう。


   


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