3.高雄から澎湖島へ

(旧日本海軍高雄警備府・戦争與和平紀念公園・澎湖島)


平成25年(2013年)3月2日・第2日目

続いて向かったのは、高雄市・・・
むかし、むかし・・・今から30年も前に一度だけ来たことがある街であるが・・
あ~・・・全く記憶に残っていない・・・(大汗)
う~ん・・・どこか、池があって、中国風の五重塔のような塔が建っている場所で写真を撮ったような記憶がかすかにあるのだが・・・
何しに行ったんだろ?高雄に・・・(大笑)

高雄の海軍基地に向かう。
ここは、日本統治時代は『高雄警備府』という日本海軍の施設があった場所。
現在は台湾海軍の『海軍左営基地』となっているが、正門が日本統治時代の遺跡として残っている。
軍の基地なので、バスから降りて写真を撮るというわけにはいかない。
車窓から見る。

旧・日本海軍高雄警備府
(現:台湾海軍左営基地)

昼食を食べて、次に向かう。
町並みを見ても記憶はない・・・(大汗)
古そうな建物は30年前からあったと思うのだが・・・
ん?龍のようなモニュメント・・・
これだけ大きけりゃ記憶に残っていておかしくはないはずなのだが・・・
やっぱり記憶にはない・・・

次に向かったのは、『戦争與和平紀念公園』
ここには台湾籍の日本将兵の慰霊碑と資料館がある。
で・・・向かったはいいが、道路が大渋滞!
時刻は午後3時を回っている・・・
まずい・・・
この後、空港へ向かい、午後5時の飛行機で澎湖島(ほうことう)へ向かわねばならないのである!
道路は狭く、1本道・・・
全く車が動かなくなった・・・
対向車線も大渋滞・・・大型観光バスがUターンできそうな感じではない。(汗)

大渋滞の原因は・・・・

地元のお祭りの行列のせいのようである。(唖然)
お祭りに参加している方々の協力を得て、交通整理をしてもらい、なんとか大型観光バスをUターンさせた。(笑)
お祭りの参加者達が手を振ってくれる・・・
こういう時は、こちらも精一杯手を振って御礼の意思表示をせねばなるまい!(笑)
ということで・・・窓にへばりつき、みなさんに手を振って応える・・・
こんなことをしていたのは私だけかもしれないが・・・(大笑)
こういう、ちょっとしたことが、親日の人を作るか、反日・嫌日の人を作るかの“分かれ目”だと私は思うのである。
ボケェ~ッとバスに乗っていたのではいけないのである!(大笑)

目的地の『戦争與和平紀念公園』は、なんと直ぐ目の前にあった・・・(唖然)
なにも大渋滞を起こしている車の列に並ぶほどのこともなかったのである。(大汗)
ついに雨がチラチラ降ってきたので、傘を持ってバスを降りる。
さぁ~急げ!
時間がないぞ!

「戰争與和平紀念公園」碑

公元二〇〇六年十一月廿八日

日台國民文化交流會
台籍老兵曁遺族協會 
「臺灣歴代戰歿将士英霊紀念碑」

これは「高砂義勇隊」など日本兵(日本人)として活躍した台湾人たちや日本軍とともに戦った軍属などの顕彰モニュメントのようである。

これは、何と言っていいか・・・
追悼碑と名付けたほうがいいのか・・・
この公園にある記念館は、元・台湾出身の日本兵だった“許 昭栄”という人が個人で作った記念館である。
その許氏は、高雄市がこの公園名を改名する決議をし、台湾政府が「台湾無名戦士紀念碑」を撤去するという台湾籍日本兵戦没将兵に対する差別的方針に対し、平成20年に、この場所で抗議の焼身自殺をしたという。
その焼身自殺した場所が、この四角い慰霊碑(?)追悼碑(?)が置かれている場所だそうだ。
80歳にして抗議の焼身自殺とは・・・
なんということか・・・
悲壮な覚悟で・・・だったのだろう・・・さすがに言葉を失ってしまう。

戰争與和平紀念公園主題館

抗議の焼身自殺をした“許さん”が建てた、この記念館を見学・・・
入場料は無料だったと思う。(私は支払っていない・・・)(笑)
受付で、日本語の資料がないか尋ねたら、A4版用紙1枚の解説書をくれた。
館内の撮影は自由とのこと・・・
ここの係員は若い男女数名・・・
大学生のボランティアなのかな?
私が一番乗りした後、しばらく経って後からゾロゾロと我がツアー客がやってきたので、日本語の解説用紙のコピーをするので大わらわの様子であった。(大笑)

戦争と和平記念公園について
この「戦争と和平記念公園」が設立されたのは2009年(平成21年)5月20日でした。
その丁度一年前、この公園の創設者である許昭栄さんが未完成のこの地で壮絶な焼身自殺をされたのです。

許昭栄さんは1928年屏東県の枋寮で生まれ、日本帝国と中華民国の二つの統治時代に生きた台湾人退役軍人でした。
日本統治時代の1943年、許さんは日本帝国海軍特別志願兵として入営、整備兵科の訓練を受けましたが、終戦後中華民国海軍に強制徴用されて、中国共産党との戦闘にも参加しました。
其の後、アメリカ海軍より贈与された軍艦を接収する技術科の訓練を受け、二度アメリカへ派遣され、駆逐艦を台湾へ回航する任務につきました。

1958年、許さんは登乗した駆逐艦が日本に寄港したおりに、日本で活動をしていた台湾独立運動の組織が発行したビラを一枚台湾へ持ち帰り、限られた台湾人水兵に回覧したことが発覚され、軍事法廷で重罪として徒刑10年の判決を受け、政治思想犯の監獄のある火焼島へ島送りになりました。

刑を終えて娑婆に戻った許さんは高雄の輸出特別区で日本人の経営する工場で就職し、多忙な日々を送っていた1972年のある日、彼が故意に輸出商品にMade in Republic of Taiwan(台湾共和国製)と印刷したラベルを貼ったと同僚に誣告されて警備総司令部の牢獄で4ヶ月間にわたり厳しい調査を受けましたが、幸い無罪放免となりました。
その後、許さんは自営の貿易商として生計を立てていました。

1986年7月、許さんはアメリカのロサンゼルスへ出張中、台湾で絶食を続けていた或る政治犯の釈放を政府に要求する会合に出席したことを中華民国政府の情報員に検挙されてパスポートが無効となり、台湾への帰国ができなくなりました。
困り果てた許さんはロスアンゼルス在住の日本人坂井さんの世話になりましたが、その後当時アメリカに亡命中の彭明敏台湾大学教授の建策に従い、カナダへ渡りカナダ政府の手厚い政治庇護を受けることができました。

1991年に国民党政府が政治犯のブラックリストを解除して、政治思想犯の帰国が可能になった後、許さんは久方ぶりに帰国し、間もなく「全国元国軍(註:中華民国軍)台湾籍老兵遺族協会」と「台湾退役軍人及び遺族協会」を創立しました。

何故許さんがその二つの協会を創設したのでしょうか?
それは彼自身が退役軍人であったことと、第二次世界大戦終戦後中国国民党軍に強制連行または騙されて兵士となり、中国大陸で酣であった国内戦争へ狩り出された台湾兵は一万五千人にも登っていたことを調べ上げていたからです。
台湾兵は中国共産党軍と戦い、共産党軍の捕虜になると国民党軍と戦い、中国共産党が中国大陸を制覇した後は朝鮮戦争に狩り出されて米軍と戦いました。
多くの哀れな台湾兵は何の為に戦い、誰の為に戦い、誰の為に死んだかも分からずまま幾多の戦場で散って行ったのです。
中国大陸で生き残った台湾人兵士は故郷へ帰れないまま大陸に留まり、台湾人であるがゆえに中国の文化大革命でも厳しい迫害を受けました。

許昭栄さんは台湾政府に中国大陸に残留している老いさらばえた台湾人元兵士に帰国を許可すべきであると陳情を続ける一方、全ての台湾元兵士とその遺族の尊厳と権益は中華民国退役将兵とその遺族と一視同仁すべきであると強く主張し続けました。
許さんはまた高雄市の旗後半島に高雄市役所より下付された約三千八百坪の土地に「戦争と平和公園」を創設して全ての亡き台湾兵の鎮魂をする事業に精力を傾けたのです。

2008年4月、高雄市市会議員数人が公園の移設と名称を「平和公園」に変更すべきだと市議会で提議しました。
許さんは平和公園なら台湾の至る処にある、自分が造りたい公園に「戦争」と言う文字が入らねば無意味だと激しく抗議しましたが、同年国民党政権が選挙で復帰し、与党が優勢の市議会相手では力及ばずと考え極度に失望されたのでしょうか、国民党の馬英九氏が高雄市で総統着任祝賀宴会を始める時刻に合わせて、許さんは満腔の鬱憤を死で以って示さんと自家用車の中で従容と自分の体と車内にガソリンを撒き、火を放ったのです。
数奇な一生を経た許さんの自尽は台湾の社会に大きな衝撃を与えました。

2008年5月27日、許昭栄さんの告別式は高雄市鳳山区の長老教会で日本と台湾各地から集まった多数の出席者が参加して盛大に行われました。
その場で陳菊高雄市長は許さんの死を深く悼み、万難を排してでも「戦争と平和公園」は許昭栄さんの命名どうり旗後の現地に留めることを約束しました。
陳市長の約束は実現し、皆様をこの「戦争と和平公園」にお迎えしました。

(日本語チラシより)
内部

展示品の説明文は中国語のみ

「白襷隊」「台湾農業義勇団」「台湾特設労務奉公団」「海軍工員」「巡査補」「高砂義勇隊」・・・・
台湾人が関係した各種組織名がパネルに並ぶ。
どういう内容なのかの説明文は中国語なので、ボンヤリとしかわからないが・・・(苦笑)
有名なのは「高砂義勇隊」かな?
祖父がフィリピンで戦っていたときに、祖父が台湾に駐留中に教育・訓練した「高砂義勇隊」が応援に来てくれたという話を中学生の頃に聞いた覚えがある。

この「高砂義勇隊」に関しての何か本がないかと尋ねたが・・・
あらら・・・またまた英語が通じない・・・(大涙)
男子学生(?)が困り果てて、女子学生(?)に助けを求めた・・・(笑)
この女子学生に見える若い女性は英語が話せるようで、ようやく話が通じる。
で・・・結果は・・・日本語の本も英語の本もないと言う。(涙)
少しだけ「高砂義勇隊」に触れた部分が載っている中国語の本のみしかないのだそうだ。
仕方がない・・・中国語でもいいから1冊買っておこうか・・・

というわけで、1冊、本を買うことにしたが・・・
この女の子がDVDも一緒にくれた。
これは館内のモニターで放映するためのDVDではなかろうか?
「これ、いいの?いくら?」
「タダで差し上げます」と言う。
でもね・・・これ、DVDの表に「備品」って書いてあるんだけど・・・(大笑)
「備品だけどいいの?」(笑)
「大丈夫!大丈夫!どうぞ、どうぞ!」(笑)
あらら・・・何かとても得しちゃったような幸せな気分!(大喜)
かたじけない!

購入した中国語の本


写真の男性が許昭栄さんかな?

時刻は午後3時半を過ぎている!
いつの間にか、私が一番最後となってしまった!
急いでバスに戻らねば!(大汗)

午後4時・・・
無事に高雄空港に到着する。

高雄空港

(高雄國際航空站)

空港の中は、思ったより明るく綺麗だった。
トイレ休憩を利用して、私はタバコを吸いに・・・・(大笑)
空港職員に喫煙所の場所を尋ねたら、空港の建物の外だと言うので、添乗員にタバコを吸いに行く事を伝えて、外に出る。
この“一言”を伝えるということが団体行動では大事である。
が・・・多くの方々は、そういうことをしない。(唖然)
だから、人員点呼の時に誰がどこへ行ってしまったのかわからなくて騒ぎになったりするのである。
自分は旅慣れているんだとばかり、一人でどこかへウロウロと行ってしまう人が、団体ツアーの中には必ず一人はいる。
わがツアーにも、当然・・・いる・・・(大笑)
トイレに行く時も“一言”伝えておくということは大事なことである!

我々が乗る「復興航空」のカウンター
これから午後5時発、馬公行きの飛行機に乗る。
搭乗口

搭乗口のロビーには、何やら凄いモニュメントが・・・・
よく見たら・・・龍だった。(大笑)

龍のモニュメント

澎湖島の馬公空港へ向かう飛行機は・・・予想通りプロペラ機だった。(笑)
面白いことに、乗客は、飛行機の“お尻”の方から乗り降りするらしい。

高雄空港

プロペラ機に不安を持つ人もいるが・・・(苦笑)
私は高所恐怖症のくせに、プロペラ機はさほど恐くない。
ジェットコースターが大嫌いな割には、結構揺れるプロペラ機は好きなのである。(大笑)
エンジンに異常が発生した場合、ジェット機は真っ逆さまに墜落するだろうが、プロペラ機は滑空して不時着するものだと勝手に信じているのである。(大笑)

高雄上空

もろに気流の影響を受けて上下にガタガタ揺れながら飛行するプロペラ機・・・・
う~ん・・・戦時中の日本の爆撃機の搭乗員も、こういう揺れを感じながら飛行していたんだろうと思うと、追体験しているようで楽しくて仕方がないのである!(大笑)
ちょっと・・・私は頭がおかしいか?(大汗)

通路を挟んで2つづつの狭い機内・・・・
私のお隣は、“保守派”の女性の会の会長さん・・・
隣り合った“縁”で、おしゃべりをしたところ、お父様は戦車の開発を担当していた技術者だったと言う。
なんという偶然!
私は戦車師団の戦友会の事務局長である・・・・
「戦車」つながりの縁である!(喜)
話してみないとわからんものである。
だから、“出会い”は結構楽しいのである。
いやぁ~偶然とはいえ、この出会いには驚いた。
益々おしゃべりが弾む!

飛行時間、約30分で澎湖島の馬公空港に着陸。
あっという間の空の旅だった。(笑)

馬公航空站(MAGONG AIRPORT)

電光掲示板を見てみると、台北からも飛行機が飛んでくるようだ。
まぁ、当たり前か・・・・(笑)

空港を出て迎えのツアーバスに向かう。
外は曇り空・・・
雨が降っているんじゃないかと心配したが大丈夫だった。
が・・・風が強い!メチャクチャ風が吹く!
どうりで飛行機が揺れたわけだ・・・(苦笑)
で・・・寒い!(涙)

旅行の案内書では、この時期の台湾は晴れた日であれば27~30℃くらいまで気温が上るとのこと。
夜は冷え込みやすく、日中とは寒暖の差が激しいのでセーターか上着を持っていくと良いと書いてあった。
毎度のことながら洋服選びに手こずるのに、更に悩んだ末、ようやく持参する服を選んだ。
基本は長袖シャツ、半袖のシャツは1枚だけ・・・それにセーター1枚と薄手のブルゾンジャンバーを持参したのである。
澎湖島は台湾の南の方だし・・・台北と比べればフィリピンに近いのだから、かなり暑いかも・・・と思った。
ということで、本日は唯一の半袖シャツを着用した。
高雄にいた時は、まだ良かったが・・・
ゲゲッ!
怖ろしく寒い!
風がビュービュー吹くので、滅茶苦茶、寒い!(大涙)

“オバサン”たちも大騒ぎ・・・
成田空港にコート類を預けてきた人は、預けずに持って来れば良かったとボヤいている。
そうだろうねぇ~・・・日本と変わらぬ寒さなんだもん・・・(苦笑)

午後6時を過ぎたら、あっという間に周囲が暗くなった。
ここは平坦な島なのだと思うが・・・暗くて外の景色がよく見えない。(汗)
中国大陸の荒野の中を走っている感じ・・・
街灯も滅多にない・・・
バスのヘッドライトが唯一の頼り・・・という感じである。

ようやく町らしき場所が現れた。(苦笑)
一軒の小さな食堂に案内される。
ここで夕食を食べるらしい。
日本の田舎の小さな大衆食堂のような食堂である。
まぁ・・・この島・・・いったいどんな島なんだろう?
旅行社もすごいお店に予約を入れたもんだ・・・(大笑)
私は、豪華な中華レストランも嫌いじゃないが、こういう庶民的な店も嫌いじゃない。
(日本ではまず入ることはないが、海外では結構抵抗を感じないのである)

すごいのは、食堂だけではない。
ここの料理!
これがまた凄い!・・・驚きものである!(笑)
全ての食べ物が甘いのである!
味噌汁らしきものが出たので、飲んでみたら・・・甘~い!(驚)
次から次へと、これでもかっていうほど甘い料理が出てくるのである。
“コウノさん”が「さて、次の料理はどうでしょう?甘いですかね?」と笑いながら私に尋ねてくる。
「え~このテカリ加減ですと・・・このチャーハンも甘いような気がしますが・・・」と私。
「では、味見をお願いします」
「はい・・・では・・・お先に失礼して・・・ゲッ!」(笑)
大爆笑である。
もう皆さん大騒ぎ・・・文句タラタラである。
お茶でなんとか口直ししようと思っても、このお茶がまた砂糖がタップリというような甘いお茶!
“オバサン”たちがブーブー文句を言う。
甘くないお茶を頼もうとしたが、予想通り、言葉が通じない・・・(大笑)
ガイドの“張さん”を呼んで通訳してもらったら、“普通のお茶”はペットボトルしかないと言う。
仕方がないので、ペットボトルのお茶を買う破目となる。

夕食!

“コウノさん”と、これは一体どういうわけかと推理して遊ぶことにした。(大笑)
私の説は・・・
1)この島の住民は全員が甘党だから・・・
2)日本人は甘いものが好きという間違った情報を得たので、大サービスで甘くした。
3)コックが塩と砂糖を間違えたまま、味見もせずに料理を作り続けた
4)コックが不在のため、子供に料理を作らせたら砂糖ばかりを入れやがった!(笑)
すべてありえる話だと大笑い。
もう、こうなったら遊ぶしかない・・・(苦笑)
さて、次の料理は甘いか甘くないか・・・
(結局すべて甘かったのだが・・・)(笑)
本気で文句を言っていたのは“オバチャン”たちである。
さすがは“保守派”のオバタリアン・・・
恐い・・・・(大笑)
それにしても、このツアーは「歴史探訪ツアー」なのであって、「グルメツアー」ではない。
食事なんて何でもいいと思うのだが・・・何か勘違いしているのではなかろうか?(汗)

こういう当たり外れも旅のいい思い出になるのではないかと、私は“コウノさん”と一緒に楽しんでいたが・・・
“保守派”のオバタリアンは、そういう気持ちの余裕はないようである。
視野が狭いのかな?(大笑)

ひでぇ食事だったが面白かった・・・が私と“コウノさん”の感想・・・
不味かったのではない・・・
食材の味を全て台無しにするほど甘すぎただけである。(大笑)

夕食後、バスで馬公港まで移動・・・・
午後7時45分過ぎ、ホテルにチェックイン。
今日のツアーはここまで・・・解散!各自自由行動!

ホテルの部屋

部屋は非常にシンプルである。
テレビ以外は・・・何もない・・・・(大笑)
このクソ寒い中、バスタブがないというのは、ちょっと寂しい気もするが・・・
まぁ、お湯が出るだけ良しとしよう。
フィリピンの山奥の標高1500mの村で、お湯もなく肌寒い中、水を浴びざるを得なかった経験からしたらマシなほうである。(大笑)
ただ、悲しいかな・・・
部屋は禁煙!(大涙)
窓を開けてタバコを吸えばいいかと思って、窓を開けたら、台風並みの風が吹き込んできた!(驚)
これじゃ、タバコの火の粉がどこへ飛び散るやら・・・ダメだ・・・吸えない!
あ~あ~参った・・・・(涙)

部屋にいてもつまらないし・・・タバコも吸いたいし・・・(大笑)
ということで・・・外に出て、一人で夜の街の見学をすることにする。

馬公の商店街

馬公港の商店街(?)は、結構にぎやかである。
あの夕食を食べた食堂のある場所と比べたら雲泥の差である!(大笑)
が・・・道行く“島民”は、ダウンジャケットを着ているのである!
誰が台湾は暑いなんて言ったんだ?(笑)
島民はダウンジャケットを着て、真冬の格好だぞ!

澎湖島の何かお土産が欲しい・・・
できれば、島の絵が入ったようなステッカー!
どこかでステッカーを売っていないかなぁ・・・
ドコモのタブレットはホテルの部屋にまた置いてきてしまった。(笑)
貴重品だから持ち歩かない・・・
だけど、あれがないとナビがないので、昨年の済州島の時のように迷子になってホテルに戻れなくなりそうで恐い。(大汗)
う~ん・・・難しいところである。
とにかく“筋金入りの方向音痴”なので、ヤバイ・・・(大笑)
細心の注意を払って商店街をウロウロと歩く・・・

ちょっと横道に入ってみたところ、面白いものを見つけた!

「日立大飯店」

『日立大飯店』・・・つまり、『日立ホテル』である!
私の住む茨城県日立市とは関係がない・・・
地元企業の「日立製作所」(家電の日立・・・など)とも関係ないだろう。
日立製作所が台湾の澎湖島でホテルを経営しているなんていう話は聞いた事もない。
「日立」の名をパクったな・・・(大笑)
このホテル、看板以外は電気が点いていない・・・・潰れているのか?(大汗)

30分ほど、ウロウロしてみたが、ステッカーは見つからず、ホテルまで戻り、ホテルの目の前にあるコーヒーショップへコーヒーを買いに行く。

で・・・ホッとコーヒーを頼んだのだが・・これが・・・通じない!(大汗)
メニューの「美式珈琲」というのが、「アメリカン・コーヒー」のことだと思う。
確か「美国」って「アメリカ」のことだったような気がするので、「美式珈琲」を指して、これは何とかなった。
が・・・「ホット」が通じないのである!(涙)
お店のアルバイトのお兄ちゃん・・・
肩をすぼませ、ブルブルと身震いをしながら、私に何かを尋ねる仕草・・・
ん?何だ?(笑)
どうも「寒い」=「コールド」=「アイス・コーヒー」・・・ということをジェスチャーで示しているらしい。
あのね・・・このクソ寒い中、アイスコーヒーなんか飲めねぇだろうよ!(涙)
あ~あ~・・・なんで店の前でジェスチャーゲームをやらねばならんのか・・・(涙)
「そうじゃなくて、ホット!ホット!ホットコーヒー!」
え~い!
「ホット」=「熱い」って、どうジェスチャーで示せばいいんだ?
「ポッ、ポッ、ポッ!」だよ・・・・
「え?わからない?」
「う~んと・・・ドカァ~ン!メラメラ~・・・って、これじゃ“火”になっちゃうな・・・」
「え~と・・・フ~ゥ、フ~ゥ、アジィ~!・・・だよ!」(涙)
アルバイトのお兄ちゃん・・・
私のジェスチャーが全く理解できないらしい・・・(大涙)
そのうち苦笑いを浮かべながらオロオロし出した!
どこからみても「誰か助けてくれぇ~」の仕草である。(唖然)

ちょうど私の後ろに高校生ぐらいの3人の少年が立って順番を待っていたので、彼らを先にやってやれ、と手で合図をしたら、一人が中国語で何か言った。
と・・・先ほどのアルバイトのお兄ちゃんが、「あ~そうですか!」といった身振りで、「わかった!ホットですね!」と苦笑いをしながら確認してきた。
だから・・・さっきから俺は「ホット」って言ってるじゃねぇかよぉ~(苦笑)
どうやら後ろの学生が通訳してくれたようである。

この学生が流暢な英語で「どこから来たのですか?」と尋ねてきたので、「日本だよ~」と答えたら・・・
「やったぁ!」とばかりに大喜び・・・
なぜか、他の二人はガッカリ・・・
なんだ?何事だ?
「日本人ですか!クールですねぇ~」と彼は私に向かって言う。
ここで言う「クール」は間違っても「寒い」ではない。(大笑)
「日本人?さむぅ~い!」では日本語がおかしい・・・
ここでの「クール」は「格好いい!」という意味であろう・・・と都合よく解釈する(大笑)
「え?俺?格好いいって?」(大笑)
いやぁ~照れちゃうねぇ~(大笑)

「ところで・・・さっき、もしかして、俺のこと韓国人か中国人かって言ってたんじゃないの?」と尋ねたら、照れ笑いしながら「はい」と答えた。
「で・・・君が俺のことを日本人じゃないかって言って当たったんだ?」と言ったら、3人が笑いながら「そうです」と頷く。(大笑)
お前ら・・・俺がどこの国籍かで賭けていたな!(大笑)

コーヒー!

四苦八苦して購入したコーヒー・・・・
店の外のテーブルのところで寒風に晒されながら飲む・・・
だって、ここに灰皿があるんだもん!(笑)

道の向こう側に、なぜか大きな袋を手にした人達が集まっていた。
この寒風の中、ご苦労様なことである。
バスでも待っているのだろうか?
あんな大きな袋を持ってバスに乗って、この島のどこへ行こうというのだろうか?
と・・・間もなく、音楽を流しながら車が向こうの方からやってきた。
このクソ寒い中、アイスクリームの販売じゃないだろうな?
と・・・黄色い回転灯が見える・・・・
は?ゴミ収集運搬車?(苦笑)

ゴミ収集運搬車

と・・・先ほどまで寒風に晒されながら大きな袋を持って集まっていた人達が一斉に駆け寄った・・・
あの大きな袋は、どうもゴミ袋だったようである。
それにしても、真面目なものだと感心!
この風に晒されながら、ずっとゴミ収集運搬車を待っていたのである!
日本なら、ゴミ集積所にポイと置いていくけど・・・・
自分で車に投げ込むのである。
いやぁ~御苦労様・・・である。

コーヒーを飲み終え、ホテルに戻って・・・あっ、そうだ・・・マッサージを呼ぼう!(笑)
フロントに尋ねたら・・・英語が通じない・・・(大汗)
“モミモミ”のジェスチャーでようやく理解してくれたようだが・・・
フロントの女の子が両手で自分の目を隠した・・・
はぁ?
“いないいない、バ~”の仕草である。
私は赤ん坊ではないのだが・・・(大笑)

あ~・・・もしかして目が見えないということかな?
確認したら「そうです」という仕草・・・
目が見えないマッサージ師は、昨晩の台南のホテルで経験済みである。(笑)
なにごとも経験というのは大事である。
うまくコミュニケーションを取る自信がついているよぉ~・・・(大笑)
「大丈夫、大丈夫、OK!OK!」

と・・・彼女が流暢な日本語で「ちょっと待ってて下さい」と言う。
あれ?日本語、話せるの?・・・・と尋ねたら・・・
日本語は、殆ど話せないという仕草・・・(汗)
日本語は2つか3つくらいしか知らないらしい。
はぁ?・・・・
日本語を知らないと言いながら「ちょっと待ってて下さい」は完璧な発音である。(驚)
不思議なフロントの女の子である。(大笑)

まもなく部屋にマッサージさんがやって来た。
ドアを開けたら、白い杖をついた“お婆さん”が、いきなり大声で中国語でしゃべりだした。
へぇ?
「この部屋でいいでしょうか?」と言っているに違いないと、勝手に解釈する。(笑)

あとは・・・・
昨晩の台南のホテルと同じパターンで進む。
一度経験していれば、もう、なんということもない・・・
“お婆ちゃん”は、勝手に一人で中国語で話し続ける・・・・
で・・・私は日本語で適当に話をする・・・(笑)
絶対、お互いの話は噛み合っていないと思うけど・・・・(大笑)
たいした問題ではない。(笑)

マッサージも終わり、お金を支払う。
台湾の紙幣にも視覚障碍者用の“ポッチ”が付いていて、それを触れば金額が分かる。
支払いを済ませ、ドアのところへ手を引いて行ったら・・・
なんと、“お婆ちゃん”が中国語でワーワー騒ぎ出した。
というか・・・中国語って、とんでもないことが起こって大騒ぎをしているように聞こえるのである。(大笑)
何事だ?

すると・・・“お婆ちゃん”が私の手首を掴み、廊下に引きずり出そうとするのである!(驚!)
「チョ、チョ、チョ、チョット待って!チョット待ってって!」と思わず日本語・・・・
このホテルの部屋・・・ドアはオートロックなのである!
このまま廊下に出てしまったら、私は部屋に戻れなくなる!(大汗)
部屋の鍵を取ってこなくては・・・・
「ちょっと待って!鍵!鍵!」と“お婆ちゃん”の手を振りほどく・・・
と・・・益々“お婆ちゃん”は大騒ぎ!
ワーワー!!大変だぁ~!!(大泣)

はっ!
フロントの女の子が「ちょっと待ってて下さい」という日本語だけが流暢に話せる訳がわかった!
これだ!
「ちょっと待ってて下さい」は意外にも一番重要な言葉なのである!
この言葉さえ相手に通じれば、相手は大人しく待ってくれるのである!
で・・・その間に時間稼ぎをして、会話本をめくるなり、通訳を探せばいい訳で・・・(笑)
そうか・・・そういうことか・・・
変な女の子だと思っていたが、そうではない。
かなり賢い女の子である!(笑)
それに比べ・・・私は「チョット待ってて下さい」を中国語で何と言うのか知らない・・・
だから、突然私が“消えた”ために“お婆ちゃん”は更に大騒ぎとなったのである。
いやぁ~・・・こりゃ勉強になったぞぉ~(喜)

「○×△*$#・・・!」・・・“お婆ちゃん”はドアのところに立って大騒ぎ・・・
多分、エレベーターまで連れて行ってくれって言っているに違いない。
「はい!はい!チョット待って!今、鍵を持ってきますから!」と私は日本語・・・
もう、こうなったら何でもいいから声を発するしかない・・・(苦笑)

部屋の鍵をチャラチャラ鳴らしたら、“お婆ちゃん”は、ようやくわかったようである。
ウン、ウンと頷いた・・・(大笑)
では・・・行きましょうか!
マッサージの“お婆ちゃん”の腕を取り、エレベーターまで案内し、エレベータに乗せて1階のボタンを押してあげる。
「はい、1階のボタンを押しておきましたからねぇ~」と日本語・・・(大笑)
もう、こうなったら全部、日本語!(大笑)

“お婆ちゃん”は、何度もお辞儀しながら「$%&○△×・・・!!」と言う。(笑)
多分、「エレベーターまで連れてきてくれてありがとう!」と言っているのだろうと解釈する。(大笑)
「あんた硬すぎるんだよねぇ~おかげで、こっちの手が痛くなったじゃないかぁ~本当に迷惑な日本人だよ、あんたは!」と仮に言っていたとしても、私は中国語がわからないから平気である。(大笑)
こういう時は、自分の都合のいいように解釈しよう!(大笑)

“お婆さん”を送り出して・・・ふと、思った・・・
もしかしたら、言葉が通じないということは良いことではなかろうか?(苦笑)
例えば・・・
「中国が尖閣諸島は自分の国のものだ」と言ってますよ・・・と誰かが日本語に通訳するから揉めるのではなかろうか?(笑)
通訳する人がいなければ、中国が何を言っているのかわからないんだから、日本人は怒らなくて済む。(大笑)
尖閣諸島の写真を指して中国語で何か言っていても・・・・
たぶん、「いい島をお持ちでうらやましい」って言ってるんだろうと勝手に解釈してニコニコしていられるではないか?
言葉が通じるのも良し悪しではなかろうか?(大笑)
世界中から「通訳」を無くしてしまえば、世界は幸福になるかも・・・(大笑)

そんなことを思いながら・・・部屋に戻り・・・寝る!(笑)


   


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