6.澎湖島から台北へ

(澎湖島要塞重砲兵連隊官舎跡・龍門裡正角日本軍上陸地跡・台北)


平成25年(2013年)3月3日・第3日目

昼食後、向かったのは・・・『篤行十村』という場所・・・
私には何のことやらさっぱりわからないが・・・(笑)
何やら、史跡かなにかに指定されている古い家が立ち並んでいる場所らしい。

最初に案内されたのが『張雨生故事館』という建物。
この張雨生(チャン・ユーシェン)という人は、なにやら台湾の有名な歌手だそうで・・・
交通事故で31歳で亡くなったそうだ。
その生家がここなのかな?・・・・良くわからないけど・・・(苦笑)
内部は記念館のようになっていたけど、日本の芸能人に殆ど興味がない私が、台湾の芸能人に興味があるわけがない。
写真も撮らず、サッサと外に出る。

海のほうへ向かい・・・
岬のような断崖の上に出たら・・・
向こうに台湾海軍の軍艦らしき船が停泊していた。

少し、この古い家屋群の中を散策しながらバスに戻る。

ここには、日本統治時代に「澎湖島要塞司令部」「澎湖島要塞重砲兵連隊」の官舎があった場所らしい。
明治38年頃から建設が始められたようである。
で・・・戦後は、台湾(国民党軍)の駐屯地になったようである。
今でも、すぐ隣接する場所は台湾の軍隊の駐屯地(軍事基地)である。

でも、この古い建物は、日本統治時代のものではないだろうなぁ~

時刻は午後2時を過ぎた・・・・
これから、今度は“日本軍の上陸地”へ向かう。

移動途中で、風力発電所を見かける。

こういう風の強い島では、風の力を借りて発電するのは当然だよなぁ~(笑)
日本も、いつまでもグダグダ言っていないで、風のよく吹く所には風力発電、年間の日照時間の多い地域には太陽光発電をドンドンやっていけばいいのに・・・ねぇ~(笑)
周囲の様子を見ながら・・・なんていうことだから、日本はいつも後手に回ることになるんだよなぁ~
正しいと思ったら突き進む・・・これが一番じゃないのかね?
などと・・・バスの中から風力発電のプロペラを見ながらブツブツ・・・思う・・・(大笑)

目的地の『澎湖島日本軍上陸記念碑』がどこにあるのか・・・
イラストマップ程度の地図しかなく、バスの運転手の勘に任せるに近い・・・
私はドコモのタブレットのナビで現在地を確認。
こんな辺鄙な島でもタブレットのナビが使えるとはねぇ~
いやぁ~便利な世の中である。(喜)
目的地のおおよその位置を掴んだので、ナビでバスの動きを追跡・・・
もし、迷って、おかしな方向に行ったり、通り過ぎるようだったら教えてあげよう。(大笑)
それまでは黙って・・・余計なお世話は焼かないことにする。

何もない、荒野のような中を走る狭い舗装された横道・・・
本当にこの道だろうかと不安になった頃、ちょうど舗装が途切れる場所に看板が・・・あった!(笑)
あれは上陸記念碑を示す看板ではなかろうか?

標識のすぐ近くに『上陸記念碑』が・・・
この『上陸記念碑』は、ここのほかに、もう一箇所、別の場所にも建っているそうだが・・・
そちらのほうは、戦後になってからなのか、反日的な文字が書かれているそうなので・・・
こちらの記念碑だけを観て帰るそうだ。
『明治二十八年 混成支隊上陸紀念碑』
記念碑の前で歌を歌う・・・
多分、「君が代」だったような気がするが・・・(苦笑)

このツアー・・・いたるところで「さぁ~歌いましょう!」と音頭を取る方がいるので・・・
いたるところで、「君が代」やら「海ゆかば」やらを歌わされる。
こういうところが、他の観光ツアーとは大きく違うところである。
というわけで・・・どこで何の歌を“歌わされた”のか、さっぱり記憶がない。(大笑)
それだけ、私は気持ちを込めて歌っていない・・・ということになるが・・・(大汗)
ここでは、たぶん、「君が代」だったような気がする。
私は結構記憶がいい加減である。(苦笑)

『記念碑』には・・・・
中央の大きな碑には、「明治二十八年 混成支隊上陸紀念碑」の金色の文字が刻まれていた。
文字が金色なので、ちょっと見づらい・・・
大正時代の古写真によれば、「混成枝隊・・・」と刻まれている。
いつのまにか「枝」を「支」に書き直したようである。
記念碑自体は、大正時代の古写真と同じもののようである。
右側の小さな碑には「台湾光復紀念碑」の文字が刻まれている。
この右側の碑には、本来は「澎湖島上陸記念碑」と刻まれていたらしいが、書き換えられたらしい。(唖然)

ちょうど、地元の「農夫」という感じの“オジサン”がやってきた・・・
軽く会釈をしたら、何やら話しかけてきたので、対応をガイドさんに頼む。
私は中国語は話せません!(大笑)
で・・・この“オジサン”が案内してくれるそうで、この碑の下にある海岸へ向かう。

海岸へ向かう道

この海岸が、日本軍が上陸した海岸だそうである。
明治28年の3月23日のこと・・・
日清戦争が終わり、「下関講和条約(馬関条約、日清講和条約)」の交渉中のことである。
この海岸に1個旅団(約3000名)が上陸したらしい。
で・・・ここに駐屯していた清国軍と戦闘をしたらしいが、この時の戦死者は3名だったという。
問題は、戦闘よりも病気・・・
コレラによって、1000名ほどが病死したそうである。
軍人として戦闘ではなく病気で命を落とすとは、本人もさぞかし無念だっただろう。
ある資料によれば、コレラ患者数は1,945名で、そのうち1,257名が死亡したという。

どうも「日清戦争」となると、ピンとこない・・・
他の参加者からも「この海岸に日本軍が上陸したって・・・いつの話なんですかねぇ~」と尋ねられる。
日清戦争の・・・と答えたら、「日清戦争じゃ、大昔の話だからピンとこないよねぇ」とのこと。
戦跡といっても、あまりに昔の話じゃ、感慨は湧かないか・・・・

いずれ、太平洋戦争(大東亜戦争)も、こういうふうになるんだろうなぁ~
「戦跡」と言ったら、第3次世界大戦(?)(汗)の戦跡になるだろう・・・・
「慰霊祭」と言ったら、戦死した自衛官の慰霊祭になるだろうし・・・
「戦友会」と言ったら、戦った自衛隊の各部隊の戦友会を指すことになるのだろう。
そういう日が来ないのを祈りたいが・・・
100年後はどうなるかは誰にもわかるまい。
明治時代の将兵が忘れ去られるのだから、昭和の将兵も忘れ去られるのだろう・・・いつか・・・
そんなことをフト思った・・・・

海岸にある祠

この海岸に祠があった。
案内してくれた“オジサン”の話しによれば、昔からここには小さな祠があったそうだ。
で・・・ここに上陸して戦死した3人の日本兵の魂もここに祀ってあると言う。
(戦死者が3名ということを知っているんだから驚きである)
う~ん・・・本当かどうかは知らないけど・・・
とりあえず、お参りをさせていただく。

時刻は、まもなく午後2時半・・・
これから、空港へ向かい、台湾本土、台北に戻るのである。

意外にも早く、15分程度で空港に到着した。
今から午後4時発の台北行きの飛行機に乗る・・・

馬公空港

飛行機は相変わらず大揺れである。
無事に墜落もせず、台北の「松山空港」に着陸した。(大笑)

台北松山空港

ここ台北には空港が二つある。
ひとつは「桃園空港」(台湾桃園国際空港)で、国際線が主流の空港・・・
台北市内からはかなり離れている。
昔は「中正国際空港」とも呼ばれていた。
もうひとつは、ここ、「松山空港」(台北松山空港)である。
日本統治時代に建設された空港なので、歴史は古く、台北市内に近い。
「桃園空港」が出来てからは、こちらは国内線が主流の空港となったそうである。
日本で言えば・・・成田空港と羽田空港の関係のようなものだろうか?

成田発の台北行きは「桃園空港」へ、羽田発の台北行きは「松山空港」へ・・・というのが普通らしい。
当初、参加者からは「羽田空港を利用してくれたら楽だったのに」との声が上ったが・・・
成田発のほうが運賃が安かったので、成田発でツアーを組んだらしい。(笑)
都内在住の方にとっては、成田へ行く経費と時間的ロスを考えたら、羽田にして欲しかったと思うのも無理はないか・・・

5時過ぎ、空港を出て台北市内に向かう。
到着早々、“お決まり”の免税店への御案内・・・・
こういうところは昔から変わらないなぁ~(笑)

途中、町中に“フラッグ”が飾られていた。

“フラッグ”には『澳州教育面談会』・・・とある。
「澳州」はオーストラリアのことかな?
なにやら国際会議センターを使っての大々的な「面談会」らしい。
留学かなにかの面談なのかな?
台湾人はオーストラリアに留学するのか?
韓国人はフィリピンに大量に留学しているようだが・・・
台湾はオーストラリア?
それにしても大規模な「教育面談会」のようである。
どんなものなのか会場を覗いてみたかったなぁ~(大笑)

連れれて行かれた免税店は昨年と同じお店・・・
前回も今回も現地旅行社が同じなんだから当然か・・・(笑)
私は特に買いたいものはないので、もっぱら店の外でタバコを吹かす。(笑)
で・・・最後にササッと店内に戻り、一気に置物売り場へ行き、フクロウの置物を買う。(笑)
私の妹がフクロウの置物を集めているのである。
が・・・あれ?昨年はどれを買ったんだっけ?(大汗)
同じものを買ったのでは“芸がない”・・・・
確か、これは買ってないよなぁ~・・・というものを選ぶ。
結局、これらは妹へではなく姪っ子たちへのお土産とする。(大笑)
大学生の姪っ子は、そのうち教育実習をするようになるだろうから、指揮棒を振っているフクロウ・・・
高校に合格した姪っ子には学帽をかぶって教科書を抱えているフクロウ・・・
甥っ子には、彼はチェロを演奏するので、チェロを演奏しているフクロウ・・・
ササッと、ものの10分もかからず3個のフクロウの置物を購入して店を出る。
余計なものは・・・見ない、買わない・・・(大笑)

夕食・・・明日は帰国するので、今晩が最後の夕食である。
で・・・今まで気になっていたが我慢して言わないでいたことを話す。
澎湖島では、食事のたびに“オバタリアン”が文句タラタラ・・・
あ~でもねぇ、こ~でもねぇと、とにかく文句が多い。
ここ台北でも同様である。
さすがに、「そんなに文句ばかり聞かされたら食欲がなくなるんですけど」と一言、言わせてもらった・・・・
だいたい、日本にあるような高級中華料理店を期待するほうが無茶というものである。
日本では普段からおいしいものを食べているんだから、旅先で“ハズレくじ”を引くのも楽しいではないか?(大笑)

それと・・・テーブルマナー・・・
我々男性陣は、だいたい年長者に先に箸をつけてくれるように頼む。
「大先輩が先に取ってくれないと、皆さんが取りづらいので、お願いします」と言うのが通常のパターン。
「そうですか?それじゃお先に失礼して・・・」となり・・・
その後は円卓のテーブルを回して順次、自分の皿に料理を取るのである。
年長者がいない場合は「ここはレディーファーストということで・・・どうぞ!」となるのが通常である。
が・・・“オバタリアン”は、料理が運ばれると、勝手にテーブルをまわして自分のところに料理を寄せる。
年長者が取ろうとしていても目に入らないらしい。(唖然)

しかも、誰かが年長者にテーブルを回してやろうとすると・・・「ちょっと待って!写真を撮るんだから!」と文句を言うのである。
もう少し言い方を考えるべきだと思うが・・・(怒)
どうやら誰かに手をつけられる前に写真に収めたいらしい。
それならそうと最初に一言、断っておけばいいものを・・・そういう気遣いをしないのが“オバタリアン”である。

私も食事の写真を撮るが、「写真を撮りたいので・・・」と最初に断りを入れることにしている。
「え?食べものの写真を撮るの?それが趣味なんですか?」などと聞かれたりする。(汗)
「いやぁ~友人に旅先ではどんなものを食べたんだ?と聞かれるので、面倒くさいから写真を見せることにしてるんですよ。それに旅の思い出にもなるでしょ?あそこでこんなものを食べたんだぁ~なんて・・・」(笑)と答える。
と・・・次からは、皆さんから「まずは、あなたから・・・はい、写真を撮ってくださぁ~い!」などと助けてくださるのである。
これがきっかけで、初対面の方々とも、おしゃべりが弾んだりする場合もあるのである。
これが「コミュニケーション」というものではなかろうか?
どうも“オバタリアン”は、そういうことが出来ないらしい。
いや、“オバタリアン”だけではなく、団塊の世代は、男も女も、そういう人間が多い。
自分勝手、自己中心、周囲の状況を見ない、横柄、マナーが悪い、気遣いがない・・・(大笑)

中華料理のテーブルは時計回りに回すのがマナーである。
逆回しは厳密に言えば「マナー違反」である。
それを平然とやってのけるのが・・・“オバタリアン”である。
「テーブルは時計回りがマナーですから・・・」と一言、注意をさせていただいた。
余計なお世話だろうが・・・(大笑)
これに乗ってくれたのが“コウノさん”・・・
団塊の世代の人ではあるが・・・“オバタリアン”の横暴さに思うところがあったのかもしれない。(笑)
「時計回りですか?いやぁ~知らなかったなぁ~!時計回りで回しましょう!マナーですからねぇ」(笑)
フォローしていただき大いに助かった・・・
一番若い私が生意気にも・・・であるが・・・
旅は勉強の場でもある。

日本の女性が“天下国家”を論じても構わないが・・・(苦笑)
その前に、自分の行いをチェックすべきではなかろうか?
謙譲の美徳というか、謙遜というか、思いやりというか、謙虚さというか・・・
日本人の持つ“美徳”は身につけてもらいたいものである。
年長者に若輩者の私が言うのも失礼な話だが・・・(大笑)
自分自身が“美しい”ことをやっていないのに“美しい日本”を語るというのは、ある意味、滑稽である。
どうも“保守派”と呼ばれる女性陣にこういう人達が多い・・・
議論になると、目くじら立てて大騒ぎをするが・・・・
そういう一般常識が欠如している人を私は何人も知っている。
これでは、自分は「がに股」で歩いているくせに、ファッションモデルに歩き方を指導しているようなもので・・・
(変な例えかな?)(大笑)
それでは誰も耳を貸さなくなるのではなかろうか?
実は、保守派のイメージと悪くさせるために、わざとやっているのか?偽者の“保守派”か?・・・とすら思えてしまう。

集合時間に遅れる、自分勝手に行動する、年長者に気を遣わない・・・等々・・・
保守派の女性全員というわけではない・・・
ごく一部の方々だが・・・
いかがなものかねぇ~
“天下国家”を語る資格はあるのかねぇ~

夕食後、ホテルへ・・・・

このホテル・・・確か、昨年、ここのレストランで昼食を食べたぞ・・・
そのことを昨年も一緒だった“ヨコヤマさん”に話したら、氏は全然覚えていないとの事。
「あんたは、よく覚えているねぇ~」と半分呆れられた。(大笑)
私は肝心なことは覚えられないのだが、どうでもいいことは何故かよく覚えているのである。(大笑)

 

   


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