北海道庁旧本庁舎

(北海道札幌市中央区北3条西6丁目)


北海道庁旧本庁舎 平成22年5月29日

【北海道のシンボル】

四季折々に赤く映え、美しい姿を見せている北海道庁旧本庁舎は、“赤れんが”の愛称で広く道民に親しまれています。
赤れんが庁舎が産声をあげたのは、明治21年(1888)。
この設計は、平井晴二郎を主任とした道庁の技師が担当し、アメリカ風ネオ・バロック様式のれんが造りで、建築資材のれんが、硬石、木材などの多くは、道産品を使用しました。
以来、新庁舎完成までの80年にわたり、北海道の拠点、道の中枢としての役割を果たしてきました。
間口61m、奥行36m。
塔頂部までの高さは33mで、現在の10階建てビルに相当します。
当時は、国内有数の大建築物でした。
周囲に高層建築がない時代のこと、赤れんが庁舎の威容に、人々は圧倒されたことでしょう。
建物の頂にそびえる八角塔は、明治6年(1873)に米人開拓使顧問ケプロンの計画によって立てられ、6年後に焼失した開拓使札幌本庁舎の八角塔を模したものです。
当時、アメリカでは、独立と進取のシンボルとして、ドームを乗せる建築様式が流行していました。
明治19年(1886)に北海道庁が設置され、初代長官岩村通俊が赤れんが庁舎建設に当たり、この八角塔をしのび、屋上に設けたものといわれ、明治政府の北海道開拓にかける意気込みを示しているといえるでしょう。
赤れんが庁舎は、明治42年(1909)の火災で、内部を焼失しましたが、幸いなことに、赤れんが壁はさしたる損傷もなく、翌年には復旧工事に取り掛り、同44年(1911)に工事が完了しています。
その後、北海道百年を記念して、昭和43年(1968)に創建当時の姿に復元し、永久に保存することになりました。
今日、これほど優れた明治時代の洋風建築は国内でも数少なく、翌44年、国から重要文化財の指定を受けました。

(リーフレットより)

正面 横
正面
開拓使札幌本庁本庁舎跡




開拓使札幌本庁本庁舎跡
(北海道札幌市・「赤れんが庁舎」脇





(平成22年5月29日)

史跡
開拓使札幌本庁本庁舎跡および旧北海道庁本庁舎

昭和42年12月15日指定

開拓史は、いわゆる蝦夷地経営のため、明治2年7月(1869年)、政府の機関として民部省内におかれ、明治5年9月(1872年)には、現在の北海道(明治2年8月15日に蝦夷地を北海道と改称)全体を治めることとなった。
開拓史はいろいろ移り変わったが、明治5年9月(1872年)、開拓使札幌本庁ができ、現在の西4丁目通りから西8丁目通りまでと北1条通りから国鉄函館本線(北6条通り)までを敷地とし、明治6年(1873年)10月29日、その本庁舎ができた。
開拓使札幌本庁本庁舎は、木造二階建、一階平面約550平方メートルの建物で、屋上八角形展望層のうえには北辰旗がひるがえっていたが、明治12年(1879年)1月17日の火災で焼けた。
開拓史は、明治15年(1882年)2月8日に廃止され、三県一局時代をへて、明治19年(1886年)1月26日、北海道庁が設けられた。
北海道庁本庁舎は、明治21年(1888年)12月14日にできたが、この建物は、れんが造り半地下一階、地上二階建で、屋上には直径約7.27メートルの八角塔を設け、一階平面約1053平方メートル、延べ約4892平方メートルだったが、明治42年(1909年)1月11日の火災のため内部と屋根が焼失した。
しかし、外壁はそのまま残り、明治44年(1911年)11月15日、もとの姿に近い形で修復工事を終え、「赤れんが」の名で親しまれてきたが、昭和43年(1968年)、北海道百年を記念してもとの姿に復元された。
開拓使札幌本庁本庁舎の建物跡地と旧北海道庁本庁舎の建物のあるこの場所は、道民とともに、北海道風雪百年の歴史をになってきたところである。
われわれは、この歴史の遺産をふまえ、北海道の明かるい未来を築こう。

昭和43年9月2日
文部省
北海道

重要文化財北海道庁旧本庁舎

昭和44年3月12日指定

この庁舎の建築様式は、アメリカ風ネオ・バロック様式といわれ、設計は、当時の北海道庁土木課が行なったものである。
明治19年(1886年)7月15日新築の工をおこし、同21年(1888年)12月14日完成したが、明治42年(1909年)1月11日の火災による大改修その他数度の修補により、原形をやや損じていた。
昭和43年(1968年)北海道百年を記念して、この庁舎を保存することとなり、その復元改修工事が施された。
復元に当っては、中央八角塔をはじめ、屋根窓、換気塔、煙突、および両側玄関などの外形を復し、かつ、正面玄関上の屋根寄棟をマンサード屋根に、亜鉛鉄板葺をスレート葺に、屋根各棟上に金属製棟飾りを復した。
また、建物の内部には、防災および構造補強のため一部の改造を施した。
この建物は、簡素ながら、その意匠もすぐれており、明治時代における赤れんがの官庁建築として、その価値はきわめて高く、かつ、北海道開拓の歴史的意義をもあわせ伝えるものとして貴重な遺構である。

昭和44年7月15日
文部省
北海道

(説明碑・碑文より)

正面入口





正面入口






(平成22年5月29日)

【れんが】

約250万個を数えるれんがは、白石村と豊平村(現在の札幌市内)で製造されたものです。
長手と小口を交互に並べたフランス積みは、国内では比較的珍しい積み方です。

(リーフレットより)

1階階段部分 1階階段部分
1階階段部分 1階階段部分
1階・階段部分

【三連アーチ】

三連アーチが美しい1階正面ホール。
アーチの中心にある飾りや鉄柱上部の彫塑、階段側面に彫られた円形模様(ロゼッタ)など、階段を装飾的に扱うのは洋風建築の特徴です。

(リーフレットより)

北海道立文書館 北海道立文書館

【北海道立文書館】

北海道立文書館は、本道の歴史に関する文書や記録などを収集し、大切に保管するとともに、これらの資料を皆さんの歴史研究や歴史学習などの活動に役立てていただくための施設です。

(リーフレットより)

北海道の歴史ギャラリー 北海道の歴史ギャラリー
〜北海道開拓記念館〜

【北海道の歴史ギャラリー 〜北海道開拓記念館〜】

北海道開拓記念館は、総合的な歴史博物館です。
このギャラリーでは、北海道の生い立ちや歴史に関する資料の一部を紹介しています。
北海道の歴史や文化を楽しく見ていただくための施設です。

(リーフレットより)

樺太関係資料館 樺太関係資料館

【樺太関係資料館】

樺太関係資料館は、古くから北海道と縁の深かった南樺太に関する資料の展示と現在のサハリンとの交流状況を紹介しています。
樺太(サハリン)の歴史や状況を知っていただくための施設です。

(リーフレットより)

国際交流・道産品展示室 国際交流・道産品展示室

【国際交流・道産品展示室】

姉妹提携記念品のほか、道内産の各種特産物を展示しています。

(リーフレットより)

赤れんが北方領土館 赤れんが北方領土館

【赤れんが北方領土館】

赤れんが北方領土館は、北方領土問題を一人でも多くの方に理解していただくため、北方領土の歴史や道としての取組などを紹介しています。

(リーフレットより)

2階 2階

記念室
記念室 記念室
記念室 記念室

【記念室】

歴代の長官や知事がこの部屋で執務しました。
他の部屋とは造作が別で、出入口枠や窓回りは、手のこんだ唐草模様の彫刻で飾られ、建具、腰の鏡板などには、たも材の玉目たまもく一枚板が使われています。
創建時の天井は、漆くいであったといわれていますが、明治43年の復旧工事の際、オーストリア・ワンダーリッヒ社製のメタルシーリングに張り替えられ、わずかに玄関車寄せの天井に創建時の面影を残しています。

(リーフレットより)




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