天和2年(1683年)〜天文3年(1739年)
鳥取藩第3代藩主・池田吉泰公の墓 (鳥取市(旧国府町)奥谷・鳥取藩主池田家墓所) (平成16年11月20日) |
鳥取藩第3代藩主
父は分知東館の池田仲澄、母は松平頼隆(水戸徳川家の分家)の娘、菊子。
1695年(元禄8年)男子のいなかった第2代藩主・池田綱清の養子となり、1700年(元禄13年)隠居した綱清のあとを受けて家督を相続した時は僅か14歳であった。
将軍・徳川綱吉の前で元服式を行い、将軍の一字をもらって吉明と改名(のちに吉泰に改める)。
1708年(宝永5年)加賀宰相前田綱紀の娘、敬姫と結婚。
治政は名家老・鵜殿長春などを擁して行なわれた。
この時代は災害の多い時代で、たびたびの洪水・火災に見舞われ、世情不安を招き、流言蜚語を生んだ。
1726年(享保11年)には、今日、明日中に大火があるとの流言が広まり城下は騒然となり、町外れへ大勢の人が集まり、武士さえもこの中に入り辻踊りにふけったという記録がある。
藩士の気風もだんだん崩れ、たびたび綱紀粛正の指示が藩から出されている。
このようなわけで、すべての不祥事を一代に集めた藩主であるともいわれている。
1739年(元文4年)53歳で逝去。
池田家墓所・山門 (鳥取市) |
国指定史跡
鳥取藩主 池田家墓所
昭和56年10月13日指定
鳥取藩主、池田家墓所は、池田家初代光仲以下11代慶栄に至る、歴代藩主と藩主室等の墓所があり、75基の墓碑のほか多数の石灯籠を整然と配している。
藩主の墓碑は、いずれも亀趺円頭型の壮大なもので江戸時代大名墓所の代表的なものの一つである。
財団法人 史跡鳥取藩主池田家墓所保存会
(説明板より)
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