唐津城 からつじょう

(別称:舞鶴城)

唐津市東城内8−1


「唐津城」のパンフレットより

唐津城は、豊臣秀吉の臣寺沢志摩守広高が、慶長7年(約390年前)から7ヵ年の歳月を費やして同13年に完成しました。
築城には、九州諸大名の加勢を受け、名護屋城の解体資材を用いたといわれています。
城は、本丸、二の丸、三の丸に分かれ、本丸は、当時満島と陸続きであった満島山を人工川により切り離したものであります。
城の全域は約45ヘクタールありました。
寺沢氏に次いで、大久保、松平、土井、水野、小笠原の諸氏が城主に任じられましたが、廃藩置県により明治10年から本丸跡は現在の舞鶴公園となりました。


本丸には天守台が設けられていたが、天守閣が建造されたという確かな史料は発見されていません。
二の丸には藩主の住居と藩庁がありました。
藩主の住居は現在は高校の敷地になっています。
三の丸には、ほとんどの藩士が住み、外曲輪そとくるわには町人が居住し町奉行が置かれていました。
正保4年(1647年)に二代藩主・寺沢堅高かたたかが自殺したため除封となり、幕府直轄領となった後に城主が大久保氏に替わったといわれています。


5月のゴールデンウィークに訪問しました。
城内の藤棚の藤の花の素晴らしいのには感激しました。


唐津城遠景

満島まんとう山全景

唐津城遠景

舞鶴橋を渡り対岸から見た唐津城

唐津城天守閣






昭和41年に建てられた模擬天守です。




(平成12年5月4日)


天守閣・館内
1階:城址広場  
2階:常設展示室=唐津藩民政史料・唐津城関係資料
3階:常設展示室=古唐津コーナー
4階:企画展示室=全国の城(常設)・特別展示
5階:展望室

入場料
大人310円  子供150円(子供料金は4歳〜15歳未満まで)
休館日
12月29日〜31日まで
舞鶴公園エレベーター(片道)
(天守閣のある舞鶴公園までの有料のエレベーターがあります。) 大人100円  子供50円


(唐津城のパンフレットより)


唐津の由来
唐津という地名がいつ頃からつかわれたものか不明ですが、天平23年(1368年)には”唐津”という字が古文書に見られます。唐は当時、大陸の国々を意味し、津は港を意味しますので、古くから大陸への出入港として知られていた土地柄です。また、瀬戸内海や裏日本で陶磁器のことを”からつもの”と呼んでいますが、昔この辺り一帯で焼かれた大量の陶磁器が唐津を経由して日本各地に持ち込まれたことの名残かと思われます。
(唐津城のパンフレットより)

唐津藩蔵屋敷跡



唐津藩蔵屋敷跡
(長崎県長崎市上町6)





(平成20年11月22日)
倉津藩蔵屋敷



唐津藩蔵屋敷跡
(長崎県長崎市上町6)





(平成20年11月22日)

唐津藩蔵屋敷跡

唐津と長崎のつながりは古く、初代の長崎奉行は文禄元年(1592)豊臣秀吉から任命された唐津藩主・寺沢志摩守広高てらわざしまのかみひろたかでした。
正保4年(1647)にポルトガル船2隻が長崎港へ来航し、幕府はこれを拿捕だほするため、西国各藩に48,000人の動員を命令しました。
これ以後、各藩は長崎に専用の蔵屋敷を設置して、聞役ききやく(長崎と諸藩との連絡に従事する家臣)その他を置き、長崎奉行との連携をより密にしました。
この付近には、唐津藩蔵屋敷(現・上町6番)がありました。
譜代である唐津藩と島原藩は幕府から長崎における監督・監視を命じられました。

管理者:長崎市

(説明板より)




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