私のHPが役に立ってる?

(アンチポロ)


平成17年11月19日

中国人墓地を出て一路アンチポロのホテルに向かいました。
今回の旅では、アンチポロのホテルに2泊する予定になっています。
さて・・・どのくらい走ったのだろうか?
時計を見るのをすっかり忘れていたので、さっぱりわからない。
夕方遅く、ホテルにチェックイン。

ラスブリサスホテル ラスブリサスホテル
(LAS BRISAS HOTEL)

Buenavista Bldg. Ortigas Ave. 
 Ext’n.Antipolo City 1870

夕食の時間を利用して全員の自己紹介。
皆さんそれぞれの思いを持って参加されている御遺族ですが・・・・
私だけどうも場違いな場所に来てしまったような気がしてなりませんでした。
だって、この慰霊の旅が企画されたきっかけを作ったというだけで参加したのですから・・・

バスの中で、現地ガイドの”じゅん子”さんから「この中に戦史に詳しい方がお一人だけ参加されていますので、よかったら何か話して下さい」といきなり名指しされビックリ!
「とんでもございません!」
突然の話に頭の中は真白!
若輩者の私が偉そうにマイク片手に話すのは失礼というものでしょ。
「何かご質問でもあればお話します」ということで勘弁してもらいましたが・・・・
う〜ん、戦史の説明をしないとなると、結局私は何をしに参加したのかということになっちゃったかな?
ただの物見遊山の参加者に成り果ててしまった感がありますが・・・
仕方がない。

夕食後、添乗員の平山さんから「あなたのHPがガイド達の勉強の参考になっていますよ」というお話を頂きました。
私のHPが戦跡訪問のガイドの参考になっているらしいのです。
思いがけない話に嬉しいやら恥ずかしいやら。
こりゃ、いい加減なことは書けないぞ!
責任重大になっちゃったなぁ〜

参加者の中には私のHPを見て事前調査もされた方もいらっちゃったようで、その作者が私だという事を知り驚かれていたようでした。
これまた、お恥ずかしい。

参加者の中にホロ島で御家族を亡くされた方がいらっちゃいましたが、所属部隊も階級も何もわからないとの事。
戦没年月日と戦没地しかわからないのだそうです。
これには参った。
さて・・・どうやって調べてあげたらいいのだろうか?
新たな課題を与えられたような気がしました。
何か故人を偲べるような資料を探さねば・・・・

このツアーでは事前に参加者名簿は送られていませんでした。
これは、個人情報保護の観点からの処置で、参加者によっては自分の住所や電話番号を公表されるのを嫌がる人もいるそうなのです。
そういうわけで、参加人数は事前に確認しておりましたが、どういう方々が参加されるのかは全く不明。
マニラに着いて配布された名簿も名前と都道府県及び市町村名までしか記載されていません。
ただ例外として野戦重砲兵第22連隊の御遺族の方々が参加されるという話は聞いていたので、事前にこの部隊のことを調べて慰霊団代表格の西村さんを通してお送りしていたのですが・・・
残念ながら、ホロ島の関係者が参加されるのを知ったのは出発直前のこと。
もっと早くわかっていれば何か調べて持参してきたんだけどなぁ〜
(私がお手伝いできることはこの程度のことくらいですからねぇ〜)
う〜ん、残念だぁ〜

更に別の参加者は義父の慰霊に参加されたようですが、実父の方は隣接した地区で戦っていた小林兵団所属の出倉部隊に所属していて戦没されたとの事。
義父のことはわかるが、実父のほうがさっぱりわからないとの事。
話してみないとわからないもんですねぇ〜
出倉部隊の出倉部隊長のお孫さんから以前メールを頂いたことがあるのです。
私のHPを見てメールをくださったのですが・・・
早速帰国後出倉さんに連絡するお約束をしました。
さて、どんなことがわかるか・・・楽しみです。
それにしても不思議な縁を感じますねぇ〜

部屋の内部 私の泊まった部屋です。
私は一人で参加したので一人部屋。

さて、旅の疲れを取りましょうか。
というわけで・・・・シャワーを浴びたら水しか出ない!
ありゃりゃ・・・
私はこういうことには慣れているから平気ですが、さて、他の参加者の皆さんはどうだっただろうか?
皆さん、お歳を召していますからねぇ〜
水シャワーは体に悪いだろうなぁ〜

テレビはありますが、映るのはフィリピン語の番組一つだけ。
何言ってるかわからない。
しかもテレビのチャンネルはガチャガチャと回す古いテレビ。
翌日、他の方々の話によるとテレビのない部屋もあったとか。
そうなると、古くてもテレビがあるだけマシだったか・・・


 


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