1年半ぶりのボソボソの慰霊碑

(ボソボソ)


平成17年11月20日

昨晩はグッスリ眠れました。
さぁ、今日から本格的な巡拝慰霊が始まります!
午前8時前、ホテルを出発して最初の訪問地ボソボソへ。

バスの中で持参した地図を見ながら窓から見える景色と比較していたのだが、さて、さて、どこを走っているのかさっぱりわからない。
現在どこを走っているのかわからないのだから、どの山が何山なのかわかるわけがない。

ボソボソの高台 ボソボソを見下ろす高台にマイクロバスを止めて、全体の風景を観察しました。

この高台に来る途中、屏風のようにそびえ立つ岩山がありましたが・・・
この特徴ある形を地図の中で探してみると・・・・
私の持参した地図では「忠孝台」ということになっている。
しかし”台”という感じじゃないんだよなぁ〜
でもこの山が「忠孝台」なら昭和20年3月18日まで野戦重砲兵第22連隊がいた場所ということになる。
バスはこの山の側を一気に通り過ぎてしまったので詳しく見ることが出来なかった。
う〜ん、こりゃ、もう一度一人で来るしかないか?

高台から見たボソボソ地区 高台から見たボソボソ地区

この高台にバスを降りてボソボソ地区を見ることになる。
早速、地図を出して確認作業・・・・ところが、ここで大問題発生!
『山吹を偲ぶ会』事務局長の中村さんが持参してきた地図と私の地図を比較してみると、山の名前が違っているのです!
さぁ、大変だ。頭の中は大混乱。
目の前の山が何と名づけられた山なのか・・・さっぱりわからない。
私の地図で「忠孝台」と書かれている山は、中村さんの地図では「神威山」
私の地図に書かれている「神威山」は全く別な場所。
こんな調子で、あの山も、この山も・・・もうダメだ!
これに公刊戦史に添付されている地図を加えたら、もっとわからなくなる。
公刊戦史の地図は山の名前がきちんと書かれていますが、等高線も山の形も全く違うのです。
こうなると私や中村さんの地図とも比較が出来ない。
果たしてどの地図が正しいのか・・・・・
ついに私は確認作業を諦めました。もう、どうでもいいや。
この相違はやむを得ないのです。
当時は地図もなしに兵隊たちは山の中を歩き回っていたのですから、僅かに生残った人達の記憶も曖昧でしょう。
その彼らの証言に基づいて地図を作ったとすれば、証言者によって山の名前と位置が違っても責められない。
作戦参謀だって果たしてどれほどの精密な地図を使って作戦を立てていたか疑問です。
とにかく日本名が付いている山には日本軍がいたんだろうというくらいにしておくしかない。

さて、バスに乗り込み、この高台(中村さんの地図では「不抜台」)から坂道を下ります。
さぁ〜ここからが私の出番です!
なにせ、ボソボソの慰霊碑がある場所には私しか来たことがないのですから・・・
しかし・・・私は方向音痴。内心不安。
1年半前の記憶を辿り・・・・「ここを右!」
無事に慰霊碑のある場所に到着しました。(よかったぁ〜)

ボソボソの慰霊碑 ボソボソの慰霊碑

以前と比較すると慰霊碑の周りに花が植えられており、かなり綺麗に整備されていました。
更に慰霊碑には2つの花束が・・・
いったい誰が置いたのか・・・

慰霊祭はフィリピン国歌から始まり、「君が代」、「海ゆかば」と続き、読経のテープとともに焼香。
そして関係遺族が代表して「追悼の言葉」を捧げます。
感無量です。
この場所を偶然訪れた時、まさか1年半後に御遺族の方々と共に再訪問することになろうとは夢にも思っていませんでした。
私には意識はないが、あの時に英霊の皆さんに家族を連れてきてくれと頼まれたのかもしれない。
そんなことを思ってしまうくらい、私にとっては感動的な慰霊祭でした。

尺八の演奏 参加者による尺八の演奏もありました。

 


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