(御光山)
平成17年11月20日 |
ボソボソの慰霊碑から今度は”御光山”の野口兵団の慰霊碑に向かいます。
さて、さて、どこを走っているのやら。
バスの真ん中あたりの席に座ってしまったので、ガイドさんに聞くにも聞けないし・・・
こりゃ参った。
![]() |
野口兵団の慰霊碑のある場所の入口。 写真手前の道路脇に、それを示す看板があるのですが、文字が薄くなっていてわかりづらいです。 写真の真正面の奥に慰霊碑があるのですが、ここからは見えません。 |
手元の地図を見てみると日本軍名”赤誠山”のふもとのような気がするんですが・・・・
いずれにせよ現在位置がわかっていないんだからどうしようもない。
単なる勘に頼ると、”赤誠山”ということになります。
それが正しいとなると・・・”御光山”はかなり奥の山で、道路からは見えない場所という事になります。
なのに・・・どうして”御光山”と呼ばれているのだろうか?
カーナビがあったら現在地が分かるんだけどなぁ〜
そうなれば、話は簡単なんだが・・・・
帰国後、再調査してみたところ、どうも地図には載っていない道路を走っていたらしいことがわかりました。
私が持っていた地図は1992年に改訂されていたものですが、その後、道路が出来たらしい。
(それじゃ・・・いくら見比べてもわからないわけだ)
この場所は”御光山”のふもとに間違いないらしい。
![]() |
慰霊碑は個人宅の庭にあります。 |
![]() |
「野口兵団及び海軍英霊の鎮魂」の碑 |
碑文 |
奉納者 株式会社 ゴールドウィン 社長 西田東作 発起人 フィリピン戦友会 会長 寺嶋芳彦 1996年2月26日 |
ここでは、この慰霊碑を建立した西田さんが御子息と一緒に待っていてくださいました。
(我々が到着する1時間ぐらい前から待ってくれていたようです)
元々ボソボソにあった川北大隊の慰霊碑が、劣化破損甚だしかったため、この野口兵団の慰霊碑に合祀したそうで、それでここでも慰霊祭を行うこととなりました。
1年半前に、この地区を歩いた時、実は私はこの碑を探していたのですが、とうとう場所がわからず、迷っているうち、あのボソボソの慰霊碑(平和パゴダ)を見つけたのです。
西田さん(現在はゴールドウィンの会長さん)から、この慰霊碑建立の経緯のお話をお伺いいたしました。
その後、西田さんと御子息は仕事の都合でお帰りになりました。
我々がこの場所を訪問するというので、わざわざ、ここまで会いに来てくださったのです。
![]() |
故 西田國也陸軍兵長之墓 西田さんのお兄さんのお墓です。 (昭和20年7月5日戦死) 平成7年3月建之 野口兵団慰霊碑の脇に建っています。 |
ここを管理している人に西田さんが管理費を支払って慰霊碑を維持してもらっているそうです。
この周辺では今でも、手榴弾や迫撃砲弾などが見つかるのだとか・・・
発掘された手榴弾や迫撃砲弾を見せてもらいました。(うっかり写真を撮るのを忘れました!)
見せてもらった2個の手榴弾のうち1個は米軍のものですが、もう1個は、もしかしたら日本軍の九七式手榴弾だったかも・・・・(今思えば・・・ですが)