明治40年10月、習志野騎兵第13連隊内において編成。
明治41年9月、岡山の兵営に移転。
日露戦争後の軍備拡張にあたり新設された第17師団に設置される。
編成は2個中隊。
連隊の時代は短く、その間、シベリア事件にも出動しなかったので実戦で活躍する機会はなかった。
大正4年から6年にわたり満洲守備のため公主嶺に駐屯。
大正14年の軍備整理により廃止となり解隊される。
支那事変が勃発するや第17師団捜索隊として編成され復活。
第17師団捜索隊は姫路騎兵第10連隊留守隊において編成。
編制は本部と乗馬1個中隊、装甲車1個中隊。
昭和13年7月、中支に出動し、江南作戦、漢水作戦等に参加して活躍。
昭和18年9月、第17師団がラーバルに転用されるに先立ち解隊された。
昭和19年、ラーバルにあった捜索第51連隊が優勢な敵の攻撃を受け、連隊長・佐藤次郎大佐以下大半が玉砕。
師団主力はニューギニアにあったため、合流できず、捜索第51連隊は昭和19年3月に軍令により解隊となる。
この時に、中隊長以下の生存者をもって1個中隊を編成し、第17師団捜索隊として復活、そのまま終戦を迎えた。
(参考:佐久間亮三編纂 『日本騎兵史(下巻)』 萌黄会 昭和38年発行)
騎兵第21連隊将校集会所 (岡山県岡山市北区津島新野1−3−9「新野公会堂」) (平成22年5月3日) |
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