(クラーク)
平成16年5月7日(第2日目) |
マバラカットの士官宿舎らしい洋館を去って、またもやClark Special Economic Zone に戻りました。
行ったり来たりしていて時間がもったいない気がしないでもないのですが・・・・
「西飛行場に行きたいんだよね?」とドライバー。
「イエス!」
一面荒地の敷地内を走ってまもなく看板が見えました。
ここは『kamikaze West Airfield』という名前です。 ”カミカゼ”としたほうが地元ではわかりやすいのでしょうね。 ここがマバラカット西飛行場です。 このクラークフィールド周辺には大小13の飛行場があったというのですが、現在説明板が建っているのは、ここの西飛行場と東飛行場の2箇所だけのようです。 |
説明板は英文で書かれているのですが・・・・
「この飛行場は1944年3月に日本軍によって建設され、1944年10月21日にフィリピン東方の米機動部隊を攻撃するため初めてのカミカゼパイロットがここを飛び立ち、台湾へ移動する1945年1月10日までカミカゼの飛行場として使われていた」というようなことが書かれていました。
この説明板は2002年9月1日にClark Development Corporationによって建てられています。
飛行場跡地の北東の角にある小高い丘。 この丘は原住民のアエタ族の言葉で”ワニのアゴ”と名付けられているようです。 白く見えるのが慰霊碑です。 『第二次世界大戦に於いて日本神風特別攻撃隊が最初に飛立った飛行場』と日本語で書かれています。 その右側の丘の中腹に横穴洞窟があります。 |
Air Raid Bunker(A Known Kamikaze Tunnel) 防空壕とか避難壕とかという意味になりますかね。 穴の入口は腰をかがまないと入れないほど小さいです。 数m歩くと、そこから立って歩けるほど広くなっています。 中は真っ暗。 こんなこともあろうかと思いペンライトを持ってきていて良かった! |
昭和19年10月21日に、この西飛行場から関行男大尉の敷島隊が発進しましたが、米機動部隊を発見できずに帰還。その後、2回出撃しましたが、いずれも失敗。
4回目の10月25日の出撃で遂に体当たりをしたのです。
マバラカット西飛行場跡