カンルーバン収容所跡

(ロスバニオス〜カンルーバン〜マニラ)


3時前にロスバニオスを出発。今度はマニラへの帰り道になります。(少し戻る感じ)
車で約30分でカンルーバン(ラグナ州)に到着しました。

ここは終戦で投降した日本人収容所があった場所です。
ルソン島で終戦を迎えた日本軍将兵はこの収容所に収容されていました。
ここは四方数キロにも渡る広大な土地(サトウキビ畑跡か?)にたくさんのテントが張られ、そこに収容されていたはず。
ここには病院もありました。
私の祖父は終戦時は極端に衰弱していたらしく、しばらくここの病院(当然テントだったでしょう)に収容されていたと言います。
元気になってから日本に葉書を送っています。
そこには「ルソン第1収容所第4分収容所より」とあります。
ここには第13号収容所まであったというから、そこの一つに収容されていたに違いない。

今回の旅の目的のもう一つは、この収容所跡を見ることでした。

ところが・・・・

大平原・・・・と思って行ってみたところ・・・・
それらしき場所が見当たらない!
あれっ?
そこは緑豊かな新興住宅地。そのすぐ側にはゴルフ場!

この収容所は昭和22年頃には日本人俘虜の復員(帰国)が完了したため閉鎖となったのですが・・・・
その跡はサトウキビ畑か甘藷畑になっていたはず・・・・

近くの住民に尋ねても誰も昔のことは知らないと言う。
よく考えてみれば当然です。
ここはただの大草原。昔から住んでいる人などいるわけがありません。
人が住んでいないから、ここに大収容所を作ったんだろうから・・・
みんな最近移り住んできた人ばかりだが、「昔はここはサトウキビ畑じゃなかったですか?」と尋ねたところ、「近くにサトウキビの製糖工場の廃屋はあるよ」とのこと。
やっぱりこの周辺だ!間違いない!
しかし・・・・この変わりよう・・・

収容所跡をカメラに収めようと思っていたが当てが外れてしまった。
写真の撮りようがない。
ドミンに慰められながら帰途につくことになりました。
ドッと疲れが出た・・・・

夕方6時にマニラ市内のパビリオンホテルに到着。

このホテル、2年前に泊まった時は「マニラ・ホリデーイン」という名前だったのだが・・・・
尋ねてみたところ名前が替わったそうです。しかも今回で4回目だそうで・・・・(笑)
最初が「ヒルトン」次が「パビリオン」、そして3回目が「ホリデーイン」、そして2番目の名前「パビリオン」に戻ったんだそうな。
なんともせわしいホテルです。

ここではデポジットとして2,000ペソかクレジットカードの提出を求められました。
手持ちのお金が寂しくなるといけないので、クレジットカードを提出。

チェックイン完了。

これで今回の車をチャーターしての旅は終わりです。
ドミンに彼のホテル代や夕食代等の経費の請求をしてくれるよう言ったところ、「5,000ペソもらってるから、それでいい」と言われてしまいました。
「それは日当だから、経費は別だぞ」と何度も説明しても経費の請求をしてくれません。
それじゃ申し訳ないんだけどなぁ〜

明朝、今回撮影したフィルムを届けに来ると言うので、その時にチップを払うことで勘弁してもらおう!

ドライバー氏には5日間のお礼として1,000ペソ(2,400円)のチップと日本のタバコを1箱プレゼント。

このホテルは私が旅行社に敢えて指定したホテル。
その理由は・・・・
ここのベルボーイキャプテン(?)に会うため。
「ハァ〜イ!ミゲ〜ル!」
「よく憶えていましたね。私のこと・・・・」
「僕のこと覚えてる?」
「はい、2年前にも来たでしょ?憶えてますよ〜」
彼の笑顔は最高です。
彼は私をホテルの中で見かけるといつもこう言います。「ハ〜イ!トモダァ〜チ!(友達)」
彼が話す日本語は「トモダァ〜チ」だけ。(笑)
ん?友達?俺は客だぁ〜(笑)
知った顔に会えるというのはホッとしますねぇ。

そしてもう一つの理由。
バスタブ!(他のホテルにもあるかもしれないけど・・・)
お湯に浸かれる!
これが最高なんですねぇ。

部屋の内部 私の泊まった部屋

部屋に入ったらすぐにバスタブにお湯を張って入浴!
やっと風呂に入れる!最高です。
このホテルは三つ星ホテルらしい。
日本円で1泊9,000円ぐらいのホテルです。

   


 トップページに戻る   旅日記に戻る