4.日本の慰霊祭

(ミッドウェイ島)


平成22年(2010年)6月2日

次は、我々日本側の参加者だけの慰霊祭。
その場所に移動する途中、アホウドリ親子の仲のいい姿を見る。(笑)

どうみても・・・・
親鳥に叱られている雛・・・としか見えない・・・(大笑)

何かやっちゃったんだろうな・・・
親に怒られるようなことを・・・(大笑)

「日本の慰霊祭」をする場所は、『滄海よ眠れ』というミッドウェー海戦慰霊碑がある場所。
こういう碑がミッドウェーにあったとは知らなかった。
ここで行なう「慰霊祭」というのは・・・
我がツアー参加者のK氏が持参して来た、日本本土上空で撃墜されたB−29の搭乗員の遺品の水筒の水を捧げるというものらしい。

昨年も、この方は硫黄島で同じようなことをしたのだが・・・
どうしてB−29の搭乗員の遺品の水筒の水をかけるのかがわからない。
この人の何かの“こだわり”なのだろうが・・・・
米軍人の水筒と日本の慰霊との関係がわからない。(汗)

『滄海よ眠れ』

ミッドウェイ海戦慰霊碑
平成10年6月4日建立

さて・・先にカートで出発した引率責任者達がいない!
どこかで道草を喰っているようだ。

K氏が慰霊祭の準備を始めたが・・・
「誰かビデオを撮ってもらえないですかねぇ。私が主宰なので自分で撮影するわけにはいかないので・・・」と、私に向かって言う。
「誰か・・・」と私に面と向って言われては、「誰か」ではなく、私がやるしかないんじゃないの?(笑)
「写真とビデオと両方では大変でしょうが・・・」と言われたが、確かに両方は無理である。
なにせ、一眼レフなんだから、右手でビデオ、左手で一眼レフというのは無理である。(笑)
無理だとわかっていながら私に頼むというのもいかがなものかと思いますが・・・(唖然)

そのうち、ボチボチとカート組が集まってきた。
我々を置き去りにして何をしていたのやら・・・(怒)

その中に見知らぬアベックがいたのだが・・・
準備が整うまでの間、この方とお話をしてみたら、どうもホノルルの領事夫妻のようである。
「ようである」というのは、まさか「どなたですか?」とも聞けないし、相手も身分を言わないのでわからなかったのだが、話の内容からして領事夫妻のようである。
あらら・・・
そういう方が参列されるなら、ちゃんと参加者全員にご紹介すべきではないか?
失礼だと思うんだよねぇ〜相手に対して・・・・

慰霊祭の準備中

『日本の慰霊祭』ということなのだが、どうもこの慰霊祭はK氏が個人的にやりたくて企画されたものらしい。
というわけで・・・仕切りはK氏である。
式が始まり、私はビデオの撮影を開始する。
このイベントの流れが全く分からないので、撮影し出したらぶっ通しで録画する。
これが基本的に私の撮影方針。
途中でチョコチョコと録画ボタンを切ったりすると、そういう時に限って“ここぞ”といういいシーンを逃してしまったりするのである。

で・・・TBSのカメラマンは私とは反対側に陣取っていた。
そこでは、アングルが悪いと思うのだが・・・と思った瞬間、さすがはプロである・・・・
すぐさま気が付き、撮影しながらこちらに移動して来る。
ナイスポジションは私の位置であるが・・・砂山で足場が悪い。
お互いに録画中なので、声を出すわけにはいかない。
ここは以心伝心となるか?
私は腰をかがめながら撮影を続け、TBSのカメラマンのカメラが私の頭上を通過するようにした。
とにかく、テレビ局の撮影の邪魔にならないようにする。

撮影しながら移動中・・・アホウドリの雛の足を踏んでしまった!(大汗)
なにせ、モニターを見ながらの移動なので、足元に雛がいたのに気がつかなかったのである。
アホウドリは人間に対し恐怖感がないらしく、近づいて行っても絶対動かない。
自分の位置(テリトリー?)を確保したまま阿呆(あほう)のようにチョコンとしているのである。
だから・・・踏んじゃうんだよね。
踏まれた方は堪ったものじゃあるまい。(笑)
怒って私の足をくちばしで突いて来た!
突然の痛みでつい「ギャ!痛てぇ!」と声をあげてしまった。
アッ!やっちまった!私の叫び声がビデオに記録されてしまった!(大笑)
まぁ、いいかぁ〜・・・どうせK氏のビデオだし・・・(大笑)

式では、各自がお線香をあげ、慰霊をしたが・・・
私はビデオ撮影をしていたので何も出来ず仕舞い。
しかも自分のカメラで写真も撮れなかった。
いやぁ〜参ったなぁ〜(笑)
またまた“お人好し”をしてしまった。

式典後、TBSのカメラマンと雑談。
「撮影を途中でやめた時に限って、いいシーンが・・なんてことがよくあるんですよねぇ〜だから、カメラのスイッチは途中で切れませんよね?大変だったでしょう?」と言ったら・・・
カメラマンとアナウンサーが顔を見合わせて苦笑いをした。
ん?あれ?もしかして・・・いいシーンを逃したのかな?やっちゃったのかな?(笑)

 慰霊碑のところから見た海!・・・この青さは素晴らしい!!

この後、すぐ近くの『キャプテン・ブルックス酒場』と名付けられた小屋で、飲み物と軽食のサービスがあるというので移動する。
すでにアメリカ側の参加者たちが軽食を食べながら談笑中。
その中に加わるが・・・日米の交流はない。(汗)
日本人は日本人、アメリカ人はアメリカ人・・・である。(笑)

『キャプテン・ブルックス酒場』
酒場の内部

オードブル類は無料でいただけるらしい。
ビールを飲んで談笑している米国人たちから「どうぞ」とオードブルを勧められる。
が・・・悲しいことに「サンキュー!」としか言えない。
なんと語彙のない男か・・・・
何かもう少し気の利いた言葉を使いたいものだが・・・何の英単語も頭に浮かばないんだから情ない。

時間を持て余すほどの“休憩”・・・・・
そのうち、引率責任者のS氏から「空港へ向かいます!急いで!」と叫ぶ声が聞こえた。
近くの人に声をかけてカートまで向かう。
が・・・相変わらずS氏は人数確認をしない。
「行くよ〜!急いで〜!」と声をかけたが、みんなが集まったかどうかは確認しない。
取りあえず、言うだけは言ったんだから後は知らない・・・ということである。
引率責任者は相変わらずである。
これでは「引率責任者」ではなく「引率無責任者」である。(苦笑)

仕方がないので、私が各カートを廻り、おおよその人数を確認したが・・・
だいたい、総勢何人なのか最初からわからないんだからどうしようもない。(大笑)
とにかく、成田空港から乗った仲間だけは把握しておく・・・
と・・・
やっぱり、一人いない!
M氏である。
この方は、従軍経験者のおじいちゃんだが、あっちこっちを歩き回り、通じようが通じまいが片言英語でおしゃべりをする豪快な方である。
こういう度胸は是非見習いたいものである。(笑)
そういうわけで、みんなと離れて行動し、よく置き去りにされそうになる方なので、要注意人物。
その方の姿が見当たらない!(汗)
こりゃまずい・・・と小屋まで戻り探してみたが見つからない。

で・・・戻ってきたら、既にみんなはカートで移動した後で、カートに乗り遅れた日本人が数名残っていた。
相変わらずの「置き去り」である。
「置き去り組」の中から更に「置き去り組」が出た・・・(苦笑)
M氏は私が探している間に行き違いでカートに乗り込んで先に行ったらしい。
まぁ、それならいいけど・・・・

「置き去り組」の第2陣として、折り返し迎えにきてくれたカートに乗って空港へ向かう。
滑走路脇の倉庫のような建物が特設の出国(?)手続き場となっていた。
ここでパスポートの確認とセキュリティチェックを受ける。

この倉庫みたいな建物の中でパスポートやセキュリティチェックを受ける
滑走路上にポツンと我がチャーター機が駐機中・・・

搭乗時間までこの建物の中でしばらくの間待たされたが・・・
一人のアメリカ人の“おばあさん”が私に「どういう関係の方ですか?」というようなことを話しかけてきた。
そこで参加の目的と簡単な雑談をしたのだが・・・・
「あなたはハンサムですねぇ〜」とおっしゃる。(笑)
はぁ?私がハンサム?
「いやぁ〜ハンサムじゃないですよ」(苦笑)
「いえ、ハンサムですよ〜是非一緒に写真を撮りたいのですがいいですか?」というようなことをおっしゃる。
私がハンサムとは・・・・?????
この“おばあさん”は目がかなり悪いのではあるまいか?(笑)
いや、それとも日本女性の美的感覚と米国女性の美的感覚は違うのだろうか?(大笑)
いや、まてよ・・・
「ハンサム」というのは・・・「美男子」以外に、何か別の意味があるのか?(汗)
なんだか狐か狸にだまされているような気がしないでもないが・・・一緒に写真に収まる。(笑)

そうこうしているうち、あっという間に日が落ちて・・・・真っ暗となる。
投光器で照らされた滑走路を歩いて飛行機に乗り込みホノルルに戻る。

さらば、ミッドウェイよ!

   


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