5.飯田房太大尉の自爆現場

(ハワイ)


平成22年(2010年)6月3日
ホテルの部屋から見た景色

今日は、ハワイの各地を見て廻る日。
最初に向かったのは、『パンチボウル』にある墓地。
何でここに連れてこられたのかは知らない。(笑)
とにかくまともに解説してくれる人がいないのである。
墓地の中で、何か発掘しているらしい。
当初は、戦死者の埋葬に立ち会う・・・というような“噂”もあったが、行ってみると、逆にお墓から発掘しているようで、棺を軍の車に乗せている。
そのセレモニーに立ち会ったのだが、何で我々が立ち会うことになったのかは全くわからない。

セレモニー

いろいろと尋ねてみると、どうも、ベトナム戦争か朝鮮戦争で戦死した氏名不詳で埋葬された遺体を掘り起こしてDNA鑑定をするらしい。
その遺体発掘作業のセレモニーに我々は立ち会ったらしいのだが・・・・
何で日本人の我々が立ち会う必要があったのかはわからない。
誰が企画して誰の指示で動いているのか、我々参加者には全く知らされていないのである。

だから・・・何だかわからないまま墓地の片隅にたむろしてボケーッと立つようなことになったのである。
こんなみっともない話はない。
最初にきちんと説明されていて、遺体に対して敬意を表するようにとの指示が出ていれば、こういう間抜けな態度はとらずにすんだろうに・・・・
ボケ〜ッと立っていたのでは戦死者に対して失礼である。
米国側は我々日本人の団体をどう見ていただろうか?
想像しただけで冷や汗がでる。

次にに向かったのが、『カネオヘ海兵隊基地』。
ここに真珠湾攻撃時に戦死した飯田房太大尉の墜落現場(自爆場所)に慰霊碑があるという。
そこを訪問して慰霊するらしい。
海兵隊基地内なので、通常は、許可がなければ入れない。
こういう時でなければ訪問できない慰霊碑である。

基地の中で最初に訪れたのは海兵隊の記念碑。

海兵隊の記念碑

この記念碑は、硫黄島での戦闘で、擂鉢山を占領した時に、米海兵隊が山頂に星条旗を揚げたワンシーンをモニュメントにしたもの。
現場でこの瞬間を撮影したAP通信のカメラマン、ジョー・ローゼンソールの写真を元に造られている。

米海兵隊にとって硫黄島での戦闘は特別のもの・・・
ここで日米合同で記念撮影。

記念撮影後、基地内の食堂へ向い、昼食をいただく。
海兵隊の士官食堂で昼食との話だったが・・・・
どう見ても、一般兵の食堂である。(苦笑)
ここで、バイキングの食事を摂る。

昼食

食後の食器は各自、食器返却場所へ持って行くらしいのだが・・・・
さて・・・どこが返却場所だ?
近くの兵隊に尋ねたら・・・「あっち!」とのこと。
「あっち!」って「どっち」????(笑)
食堂内を食器を持ってウロウロ・・・・
ようやく食器返却場所を見つけ、迷彩服を着た海兵隊員の列に並び・・・(笑)・・・無事に返却する。
戦闘服の列の中に私服を来た東洋人が一人混じっているというのは異様な風景だよな・・・
他の海兵隊員たちにジロジロ見られた・・・(大汗)

で・・・あとでわかったことだが・・・・
ここの食堂の奥の一角に士官専用の食事場所があって、先方では我々のため席を確保してくれていたという。
ところが、誰も案内してくれないので、我々は手近かな席に座って食事を始めてしまったのである。
引率者はいったい何をしていたのかね?
英語の出来る役員のY氏も引率責任者のS氏も自分のことしか考えないからなぁ〜
リーダーが面倒見が悪いからこういうことになる。
受け入れ先に対して失礼してしまった。
まったく・・・相変わらず間抜けな日本人“観光客”である。(汗)

食後に向かったのが・・・・本命の「飯田房太大尉の慰霊碑」

飯田機自爆現場
飯田房太大尉の慰霊碑

ここにはアメリカ側が建立した「慰霊碑」がある。

飯田房太大尉は、空母『蒼龍』の零戦のパイロット・・・
昭和16年12月8日(日本時間)の真珠湾攻撃で、第2次攻撃隊第3制空隊(空母「蒼龍」の戦闘機部隊)第3中隊長として参戦・・・・
対地攻撃中、被弾して燃料漏れを起こしたため、このカネオヘ基地に突入、自爆したとのこと。
享年29歳、戦死後二階級特進し、海軍中佐となった。

JAPANESE AIRCRAFT
IMPACT SITE
PILOT−LIEUTENANT IIDA,I.J.N
CMDR.THIRD AIR CONTROL GROUP
DEC.7,1941
説明板
On December 7,1941 First Lieutenant Fusata Iida,flight leader and commander of the 3rd Air Group,
Japanese Imperial Navy was the senior aircraft commander killed during the second wave of the 1941
attacks on Oahu.
First Lieutenant Fusata Iida’s plane,number BI-151 had been hit and was leaking fuel before crashing
on the Kaneohe Naval Air Station.
Prior to taking off,he had told his men that if his plane was badly damaged he would crash it into
a “worthy enemy target”

Two waves of Japanese Imperial Navy aircraft strafed and bombed Naval Air Station,Kaneohe Bay.
Of the 36 PBY Catalina (“flying boat”) sea planes based at Kaneohe,27 of the 33 on the ground,
in hangars or moored in the bay were destroyed or rendered inoperable.
The three planes out on patrol at the time of the attack escaped,and returned to base later in the day,
bullet-riddled from air-to-air encounters.
One of these three planes had assisted earlier that morning in the sinking of a Japanese submarine,
just outside the entrance of Pearl Harbor.

ここに集まっていた時のこと・・・・
米側から同行していた元軍人(たぶん海兵大佐ではないかと思うのだが・・・)が、海兵隊の報道担当の女性カメラマンに、私を指さし「He is ○×△※・・・・」と言ったのである。
私のことを説明したらしいが、何と言われたのかは聞き取れなかった。(汗)
途端にこの女性隊員が「オ〜グレイト!」とかと言って私を撮りはじめた。
ん?何だ?何事だ????(大汗)
すると、今度は現役の海兵隊中佐が、「写真を一緒に撮っていいですか?」と話しかけてきて、私は腕を掴まれ慰霊碑の前まで連れて行かれたのである。(唖然)
ん?何で私なんかと写真を撮りたがるんだ?(大汗)
わけがわからず、二人並んで・・・・広報担当の女性隊員がパチリ!(笑)

う〜ん・・・わからん・・・
こりゃ、一体どういうことか?
私は、海外では軍人と間違われることがよくある。(大笑)
目つきがそうなのか?
身のこなしが軍人ぽいのか?
職業軍人だった祖父の血を引いているせいで「軍人のオーラ」でも発しているのか?(笑)
もしかして・・・そういうことなのかな?
すごい勘違いをされたような気がする。(大笑)

慰霊
基地内


   


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