6.「春潮楼」で食事会

(ハワイ)


平成22年(2010年)6月3日

次に向かったのは・・・・パンチボウル。
またもや墓地に向かう。
行ったり来たりであるが・・・(笑)
今度は、ここにある「海原会の慰霊碑」に行くという。

 途中で見た景色

ここにはアメリカの陸・海・空・海兵隊等の部隊記念碑が並んでいるが、その中に日本の“海原会”の記念碑もある。
「慰霊碑」ではなく「友好の記念碑」である。
ここにこの碑が建てられたのは、特別な配慮なのだろう。
多分、英語の話せる役員のY氏あたりがアメリカと交渉したのかも・・・
その付き合いが、今回のミッドウェー訪問まで続いたということなのだろう。
多分・・・・(笑)
なにせ、そういうような説明を日米双方でしていたようであるが・・・
正直言って、私は全くそういう話には興味がないので、少し離れたところからみんなを撮影していた。
(だから何の話をしていたのかは全く知らない・・・笑)

みなさんが、なにやら説明を聞いているところ
海原会記念碑

ON SEPTEMBER 4,1995
WORLD WAR UVETERANS MET IT
RECONCILIATION AND FRIENDSHIP
FOREVER  FRIENDS

当然、みんなと離れていたので・・・・記念撮影には参加していない。(笑)
逆にみなさんを撮影。

記念撮影

この後、坂を登ったところにある展望台で自由行動の“休憩”・・・・
私は、ここには昨年の12月に来たので、半年ぶりの訪問である。
ここからの景色は昨年見たので、景色より灰皿がどこかにないかと探しまわる。
が・・・ない!
やっぱり、場所が場所だけに「禁煙」か・・・(涙)

まもなく、「それじゃぁ〜行くよ〜!」というS氏の声が遠くで聞こえた・・・・
ん?もう帰るのか・・・と坂を下りている途中で気がついた!
展望台の奥の方に誰かいたんじゃないか?(汗)
まさか・・・
慌てて坂を戻る。
と・・・案の定、3名ほどが“置き去り”になっていた!
「行くよ〜・・・の声、聞こえませんでしたか?」
「そんなの聞こえなかったぞ〜」とのこと。
「みなさん、もうバスの方へ向かってますよ!」
「えっ!行っちゃったの?またかよ〜また、置き去りかよ〜!」(怒)
「はい、いつものように・・・置き去りです」(笑)

相変わらず引率責任者のS氏は自分の周辺の人だけに声をかけて、さっさと先に行ってしまったのである。
俺の近くにいないのが悪い・・・と言われればそれまでだが・・・
このツアーは別名「サバイバル・置き去りツアー」だな・・・(大笑)
もう、こうなったら・・・どうにでもなれ・・・である。 (汗)

パンチボウル

今晩の夕食は、とある丘の上にある日本料理店らしい。

旧・春潮楼

Natsunoya Tea House

この店は、太平洋戦争開戦時頃、「春潮楼」と呼ばれていた日本料亭だったという。
建物もほとんど当時のままのものらしい。
開戦時、諜報活動をするため海軍から吉川猛夫少尉がホノルル総領事館に派遣され、この「春潮楼」を頻繁に訪れて、ここの2階から真珠湾を監視したという話を聞いたことがある。
その彼が訪れた2階の部屋で、今回の食事会が開かれる。

2階の窓
2階の窓から見た景色

窓から外の景色を見てみたが・・・・
あっちの方角が真珠湾なのか?
う〜ん・・・あれが真珠湾?(笑)
ここから真珠湾が一望できると想像していたが、「一望」なんていう言葉は当てはまらない。
ほんの一部しか見えない感じなのだが・・・(汗)
ということは・・・吉川少尉は何を監視していたのだろう?
もしかしたら、入港や出港は見えたかもしれないが、在泊艦艇の数を数えるというのは無理なんじゃないか?
何を見ていたんだろう?
あ〜気になるなぁ〜(笑)
“現場”に来てみて初めてわかる・・・・
やはり“現場”を訪れるというのは大事である。

日米合同の食事会

Y氏の知人の元米軍人たちとの日米合同の食事会・・・・
2つのテーブルに分かれ、元米軍人たちの相手をするのはY氏を始めとする役員たちなので、我々は別テーブル。
外人に気を使わないですむし、英語で話さなくていいので気楽な日本人だけの食事となる。(笑)

記念写真

食後、お決まりの記念撮影・・・
で・・・これまた、恒例・・・私は記念写真には収まらない・・・(大笑)



   


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