武藤信義 むとう・のぶよし

明治元年7月15日(1868年9月1日)〜昭和8年(1933年)7月28日


陸軍大将・元帥。
佐賀県出身。
陸軍士官学校、陸軍大学校卒。
日清・日露戦争に出征。
シベリア出兵で諜報活動に従事。
参謀本部第一部長・関東軍司令官・教育総監を歴任。
昭和7年(1932年)、再び関東軍司令官となり、駐満州国特命全権大使・関東長官を兼任した。
下士官出身で元帥まで登りつめた日本陸軍唯一の軍人。


元帥陸軍大将男爵武藤信義墓



元帥陸軍大将男爵武藤信義墓
(東京都文京区・護国寺





(平成18年12月23日)
墓誌



墓誌







(平成18年12月23日)

墓誌

關東軍司令官兼特命全権大使關東長官議定官元帥陸軍大将正二位勲一等功二級男爵武藤信義
元帥諱信義武藤氏明治元年七月十五日生于肥前杵島郡龍王村考諱喜右衛門妣志田氏之出也二十六年任陸軍歩兵少尉従日清役有功既卒陸軍大學校之業奉職参謀本部■来露國數次又視察清國満洲審其情勢是以日露青島西伯利等之役多所獻策大正八年累進中将補参謀本部総務部長後拜第三師團長為参謀次長轉軍事参議官或為馬政委員制度調査委員或為軍需評議會評議員作戰資材鐵道二會議議員帝都復興院参與十五年任大将兼東京警備司令官未幾出為關東軍司令官昭和二年入補教育総監兼軍事参議官七年免其職更補軍事参議官議定官八月再拜關東軍司令官兼特命全権大使關東長官駐箚満洲國八年五月三日列元帥府賜元帥稱號七月二十八日薨享年六十有六前一日依勲功特授男爵進正二位賜旭日桐花大綬章八月七日葬于東京音羽護國寺■■夫人戸倉氏有二女長■男爵藤井慶三次嗣
元帥副官万城目武雄謹書
依昭和六年乃至昭和九年事變之功賜功一級金鵄勲章


軍歴
  佐賀師範・教導団を経て
明治22年12月 士官候補生
明治25年 7月 陸軍士官学校卒(第3期)
明治26年 3月 少尉・歩兵第24連隊付
明治27年 9月 日清戦争に出征
明治28年 3月 中尉
       6月 陸軍士官学校付
明治29年12月 陸軍大学校入学
明治31年12月 大尉
明治32年12月 陸軍大学校卒業
明治33年 3月 参謀本部出仕
9月 ウラジオ派遣
明治34年12月 帰国
明治35年 2月 ロシア・オデッサ駐在
明治36年 8月 帰国・参謀本部部員
明治37年 2月 近衛師団参謀
3月 少佐
明治38年 1月 鴨緑江軍参謀
明治39年 1月 復員
2月 ロシア公使館付武官補佐官
明治40年11月 中佐
明治41年 4月 参謀本部部員
12月 参謀本部課長
明治44年 1月 大佐
大正 1年12月 近衛歩兵第4連隊長
大正 4年 4月 参謀本部作戦課長
大正 5年 5月 少将・歩兵第23旅団長
大正 7年 3月 参謀本部付(シベリア出張)
7月 参謀本部付(ハルピン特務機関長)
9月 第3師団司令部付(イルクーツク駐在)
11月 参謀本部付(オムスク駐在)
大正 8年 1月 参謀本部第1部長
3月 帰国
7月 中将・参謀本部総務部長
大正10年 5月 第3師団長
大正11年11月 参謀次長
大正14年 5月 軍事参議官
大正15年 3月 大将・東京警備司令官
大正15年 7月

昭和 2年 8月
関東軍司令官
昭和 2年 8月

昭和 7年 5月
教育総監
昭和 7年 5月 軍事参議官
8月 関東軍司令官兼特命全権大使兼関東長官
昭和 8年 5月 元帥
7月 死去・男爵


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