寛文2年(1662年)〜元禄17年2月24日(1704年3月29日)
江戸前期の俳人。
父は尾張国犬山領主に仕えた内藤源左衛門。
本名は内藤林右衛門本常。
天和元年(1681年)頃に黄檗宗の玉堂和尚につき禅を学ぶ。
のちに京都に出て深草に住んだ。
元禄2年(1689年)の冬、京都に来た松尾芭蕉に入門。
元禄6年(1693年)近江に移住。
翌年の元禄7年(1694年)、芭蕉の臨終を看取って3年間喪に服した。
芭蕉の「さび」を受け継いだ第一人者といわれる。
蕉門十哲の一人。
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句碑 (愛知県犬山市・犬山市文化史料館) (平成22年4月6日) |
逍遥の途 瑞泉寺の門をたゝき
青竜池のほとりで詩や禅を学んだ
松や竹は浮世ばなれのたゞずまい
今日も扣玄の室に老師を訪ねて心を洗うのだ
内藤丈草は寛文2年(1662)犬山藩士内藤源左ヱ門の長男として此の地から程近い瓦坂(現在の西新道)に生まれる。
3歳で母を亡くし継母に仕えて孝養をつくす。
9歳の時「発句して笑われにけり今日の月」と詠んで才能の片鱗を示す。
犬山城主成瀬正虎公の二男直竜公に仕えたが、此の頃から禅に帰依、出家を志し、その青年時代の詩が、いろいろ伝えられている。
上記の七言絶句もその一つである。
27歳家督を弟にゆずり遁世、京に上り芭蕉門に入る。
芭蕉四哲の一人と云われる実力を示し「猿蓑」の跋文を書く。
元禄17年(1704)43歳で没し大津の俳人墓地に眠る。
昭和63年12月建之
贈 犬山ライオンズクラブ
(説明板より)
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犬山市文化史料館 (愛知県犬山市北古券8) (平成22年4月6日) |
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