小瀧喜七郎像 平成20年4月16日

小瀧喜七郎 おだき・きしちろう

明治5年5月18日(1872年6月23日)〜昭和26年(1951年)12月14日

愛知県岡崎市・岡崎公園(岡崎城)でお会いしました。


小瀧喜七郎翁像



小瀧喜七郎翁像
(愛知県岡崎市・岡崎公園)





(平成20年4月16日)

碑文

岡崎公園は徳川家康公生誕の地本多忠勝公子孫の居城の地である
大正7年岡崎市は本多家より旧郭内地の寄付を受けて市有とし翌8年県の指令に基きその整備改修に着手した
当時の市助役小瀧喜七郎氏は市の方針にのっとり本多田村両林学博士の設計と指導の下に5年の歳月を費して拡張改修を行い園内及び付近一帯に多数の早咲き染井吉野桜を植え今日東海に誇る桜の名所としての基礎を築いた
氏はその後市長となってからもいよいよ公園の愛護と整備に心魂を傾け園内の一木一石に至るまで氏の息のかからぬものなく公園助役公園市長として市民から慕われた
おもうに氏は明治5年5月18日本多家の旧藩士小瀧正彭氏の五男として市内八帖に生れ長じて徴兵として入隊日清日露の両役に従軍し累進して輜重兵少尉となった
明治41年37才のとき岡崎町役場書記となり大正3年選ばれて助役に栄進以来昭和3年まで14年間よく町長を助けて市制を実現し教育土木都市計画上下水道の諸事業を始め名鉄及び大工場の誘致隣村合併等市政の各般にわたり常に愛市奉公の念に燃えて努力精進を続け岡崎市発展の基礎を築かれた
資性剛直清廉にして熟慮断行と率先垂範を処世の戒めとしたその日常はたゆみなき研究と努力と奉仕とで貫かれたのである
特に氏が提唱した時間励行は岡崎市の特徴となり大正14年生活改善同盟会から表彰を受けるに至った
なお市長の職を退かれて後も余生を一市民として市勢の発展に協力せられ昭和26年には多年司法保護事業に尽くした功により藍綬褒章拝受の栄に浴されたが同年12月14日天寿を全うした
79才で奉仕の一生を閉じられた氏が在職中幾度か企てられた岡崎城復元の日も近く歴史と景勝を兼ねた名園としての実を備えるに至った今日氏の功績を偲ぶこと切なるものがある
ここにその偉徳をたたえてこの胸像を建設する

昭和33年7月
岡崎市

彫塑家 高村泰正 謹作



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