天明3年(1784年)〜文政5年6月25日(1822年8月11日)
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岡島正義の墓 (鳥取県鳥取市・景福寺) (平成16年11月18日) |
史家 岡島正義の墓
天明4年、佐野春卿の子として生まれ、岡島三右衛門の養子となる。
寛政6年三右衛門没して家督を継ぎ370石を給う。
「博覧強記にして謹厳己を持し、頗る気節あり」と古記にある。
文政7年5月、藩の大目付を勤めるが、時事に感ずる所があって同9年8月職を辞す。
時に正義41歳。
天保年間の大飢饉に際し、窮民救済の為、建築・土木等多くの事業を行い、更に農家の副業として「ハゼの木」の栽培を行なわせた。
又、郷土歴史家としても有名で、その著因府年表・同続編・藩邸年表・鳥府誌・化政厳秘録・天保厳秘録・藩邸考・旧塁鑿覧・霜眉随記・因府歴年大雑集等がある。
鳥取文献徴集上に於ける第一の功労者である。
文政5年6月25日、75歳で病没す。
(説明板より)
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景福寺 (鳥取市新品治しんほんじ町) (平成16年11月18日) |
瑞松山景福寺(曹洞宗)
鳥取藩池田家家老「荒尾」家の菩提寺「景福寺」は、南北朝時代摂津国六ノ瀬村(兵庫県川辺郡)に通幻寂霊つうげんじゃくれい禅師を開山として創建されたのが始まりである。
慶長年間、姫路城主池田輝政の家老荒尾志摩守隆重は、景福寺11世大桂宗奕そうえき禅師に帰依し、同寺を姫路城下に移して再興し中興開基となり、以後、荒尾家代々の菩提寺として護持されてきたものである。
池田輝政の没後、備前岡山藩主となった忠雄に従い荒尾家と共に同寺も岡山へ移った。(元和2年)
寛永10年、景福寺14世角山宗虎禅師となり、忠雄の嫡男光仲の鳥取転封に伴って同寺も荒尾家と共に鳥取城下に移り、荒尾嵩就を開基とする鳥取景福寺が建立され今日に至っている。
このような経緯から摂津・姫路・岡山・鳥取と4箇所に景福寺がある。
鳥取景福寺には、鳥取藩関連の書画、墓跡等が残されている。
(※寺宝・境内墓に関する記述は略します=重兵衛)
平成6年2月
鳥取市教育委員会
景福寺
(説明板より)
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