遠城謙道 おんじょう・けんどう

文政6年(1823年)〜?


遠城謙道師の碑

遠城謙道師之碑
(滋賀県彦根市・彦根城

大正12年9月建之
発起人 奥村勇蔵
寄附者 六百名



(平成18年4月10日)

遠城謙道

遠城謙道は、旧彦根藩士で通称遠城平右衛門といい、文政6年(1823年)に彦根で生まれた。
15歳で鉄砲隊に入ったが、藩医「堀田道策」に医術を学んだのを始め、儒学や画も学ぶなどし、特に禅の修業を積んだことで武士の魂を磨いた。
桜田門外の変における、大老井伊直弼公の横死の後、悲憤の余り主君の旧恩に報じようと同志と謀り老中に抗弁するも、果たすことができなかった。
追い腹は犬死と判断し、僧となりお墓守を勤める決心をし、井伊家菩提寺の清涼寺「俊竜和尚」の元で仏門に入り、名を「謙道」と改めた。
慶応元年(1865年)、妻と6人の子供を残した謙道は、江戸における井伊家の菩提寺、豪徳寺(東京都世田谷区)に移り、直弼公の墓側に庵を建て終生掃墓、読経をし、霊を慰めること実に37年に及んだ。
「開国始末」の著書、島田三郎氏は清節堅操優に、士人の典型また僧侶の模範と謙道翁の至誠至忠が讃されている。

(説明板より)



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