大山綱良 おおやま・つなよし

文政8年(1825年)〜明治10年(1877年)9月30日


大山綱良墓



大山綱良の墓
(鹿児島市・南州墓地)





(平成19年3月30日)

大山綱良(格之助)

明治10年9月30日長崎で処刑 53歳。
明治7年鹿児島県初代県令(知事)となる。
西南の役に際し、軍資金、兵器、弾薬、食糧を送るなど薩軍を援助した罪により神戸で捕縛、官位をはく奪された。

(説明板より)

南州墓地


南州墓地
(鹿児島市・南州公園内)

1877年(明治10)の西南戦争で戦死した西郷隆盛をはじめ、2023名の将士が眠っています。



(平成19年3月30日)

県令の反抗

明治6年10月、征韓論に敗れた西郷隆盛は下野。
鹿児島に帰った西郷は、私学校を設立するが、この私学校は旧近衛兵を集めた私設の軍隊に等しかった。
その私学校の武力を背景に、私学政党の鹿児島県令・大山綱良は、新政府の政策にことごとく反抗し、秩禄処分も、地租改正も一向に実行しなかった。
鹿児島県は中央政府に従わない独立国の観を呈し、税金は中央に上納せず、鹿児島県で使い、私学校の軍費にしていたのである。
この鹿児島の半独立状態に業を煮やした長州出身の木戸孝允らの強い主張によって、政府もようやく鹿児島の県政改革に手をつけようとした。
これに対する不満もあって、私学校党が蜂起したのが西南戦争の原因だったと考えられる。

(参考:竹橋事件100周年記念出版編集委員会 『竹橋事件の兵士たち』 1979年 現代史出版会発行)

(平成23年1月17日追記)



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