パラオ観光

(コロール島)


平成22年(2010年)9月17日
午前7時・・・朝食・・・
美味しい食事ともお別れである。

ホテルをチェックアウトして、迎えのバンに乗り港に向かう。

この「ノース・ドック(北波止場)」は日本の援助で整備されたようである。

プレート・碑文
THE PROJECT FOR THE IMPROVEMENT OF
NORTH DOCK OF PELELIU STATE

GRANT AID FROM THE PEOPLE OF JAPAN
AS A TOKEN OF FRIENDSHIP
AND COOPERATION BETWEEN
JAPAN AND REPUBLIC OF PALAU
2007
午前9時半・・・チャーターしたボートがやってきた!
さらば!ペリリュー島よ!

途中、海岸砲が設置されている小島に立ち寄り、洋上から見学・・・
よくこんな場所に、こんな大きな砲を持ち込んだものだ。

ペリリュー島を出発して1時間で到着・・・・
が・・・出発した時とは違う港に入った。
ん?ここはどこ???
コロール島の隣りのマラカル島かな?
パラオ本島の島々は橋でつながっているので、1つの島かと勘違いを起こしやすい。

多分・・・マラカル島の港だと思うが・・・(笑)
無事にパラオ本島に到着。

迎えの車は、ペリリュー島の“オバック酋長”の一族の娘さんらしい。
らしい・・・というのは、正式に詳しく紹介されなかったので、よくわからないのだ。(笑)
団長たちはよく御存じの方らしい。
長年の交流で個人的にサポートしてくれているという感じのようである。
よくわからんが・・・(苦笑)

まもなくお昼ということで、レストランで昼食をする。
ここの料理はボリュームがありすぎるそうで・・・
一人、一品でも多すぎるというボリュームだそうである。
で・・・・実際に頼んだら本当にすごい量である。(驚)
それぞれ一品づつ頼んで分け合って食べることにして正解・・・
それでも食べ切れなかった・・・

昼食

迎えに来てくれた娘さんは用事があるので、島内観光の案内は出来ないという。
そこで、車を1台レストランの駐車場に用意しておいてくれ、これを使ってくれとのこと。
あら・・・かたじけない・・・・

この車を団長が運転して島内観光することとなる。
まず、最初に向かったのが、アラカベサン島にある「パラオ・パシフィック・リゾート」ホテル。
このホテルは東急グループが作った高級リゾートホテルだそうだ。
一泊の宿泊代はかなり高いらしいが・・・
今度一人で来たら泊まってみたいなぁ〜(笑)

このホテルのすぐ近くに日本大使館がある。
う〜ん・・・なんだろ・・・この小ささは・・・
どこから見ても民家にしか見えないんだけど・・・(笑)

日本大使館
パラオ・パシフィック・リゾート・ホテル

このホテルのプライベートビーチの所に、日本海軍の水上機基地があったという。

水上機用の「滑り台」跡が残っていた。

ホテルのプライベート・ビーチ
ホテルの敷地内にコンクリート製の遺跡が・・・
格納庫か倉庫か、何かの構造物の基礎部分のような気がするが・・・
戦時中の日本軍のものだろうか?

次は・・・橋を渡りコロール島に戻って、「海軍墓地」に向かう。

海軍墓地

ここは日本海軍の墓地らしい・・・・
慰霊碑がいくつか建立されている。
お線香をあげてお参りする。

パラオ諸島ニ於ケル
(旧)日本陸海軍戦没者鎮魂ノ碑
碑文
第十四師団は太平洋戦線の戦局打開のため北満州よりパラオに転進、パラオ諸島守備の任につき、
所在陸海軍部隊あわせ米軍と激しい攻防戦の中、終戦となり、この攻防戦で壱万六千三百五十四名の戦没者を出した。
尚、浦賀に帰還した復員兵は陛下のお出迎えを受け、陛下より師団に次のようなお言葉を賜った。

「陛下のお言葉」
「パラオ集団ハ寔マコトニ善ク統率カ徹底シテ
立派ニ戦闘シ復員モ善ク出来テ満足ニ思フ」

時は流れて平成の御代 今日の平和の礎となられた
多くの英霊の御霊を慰めんとこの鎮魂碑を建立する

一九九六年十月吉日建之 発起人代表 圷 隆志
慰霊碑
碑文
慰霊碑

南海のパラオの磯に
哀しく眠る戦友よ
平らけく安らかなれと祈るなり
永遠に 永遠に
A.D 1966
日本 パラオ会
    サクラ会
五十七兵站長谷川部隊
日本パラオ会(神戸・姫路)
パラオ島サクラ会これをたつ
昭和四十一年十一月十一日建立
「平和の礎」碑
碑文
建立趣旨
こゝパラオ地区(ヤップ島を含む)は、太平洋戦争における有数の激戦地(1944〜1945年)で、日米両軍とも
多数の将兵を失ったばかりでなく、パラオの人々をはじめ一般の民間の人々にも多くの犠牲者を生じました。
しかし、これらの死は決して無駄でなく、今日の世界平和の礎となったものと信じます。
われわれは、相協力してこの碑を建立し、この地区における全戦歿者の御霊の冥福と永遠の平和を祈願します。

1970年2月 パラオ地区慰霊顕彰会・パラオさくら会

(※ 英文碑文は割愛)
パラオ中学校
慰霊碑
碑文
Wishing for
an Everlasting Peace.

1992年9月

Palau Chugakko Dosokai
パラオ中学校同窓会
慰霊碑
碑文
昭和十三年八月十日父島南々東
百二十浬海上ニ於テダグラス飛行艇
ト運命ヲ共ニシ南洋航空ノ礎石トナレル

南洋廰航空官 従六位勲六等 勝畑 清
南洋廰技手   勲八等     押川 始
南洋廰技手   勲八等     北村康■
南洋廰技手   勲八等     山崎米太郎
南洋廰技手   勲八等     藤田権之助
南洋廰技手   勲七等     山崎春次
南洋廰技手   勲八等     日野宗一

右七氏、殉職ヲ記念シ之ヲ建ツ
昭和十五年八月
前 南洋廰長官正四位勲三等北島謙次郎書
碑の由来
この碑は戦前パラオ公園に建立されていたが
昭和十九年に米軍に破壊されて所在不明
でした
その後昭和四十八年にパラオミュージアムに
放置されていた碑を発見し今回有志が集い
本来在るべき海軍墓地に移設したものです

平成二十年十二月吉日
発起人
     倉田洋二
     ミノル ウエキ
     シゲオ ショージ
     児玉袈裟喜
協力者
     有志一同
沖縄の塔

パラオ諸島沖縄県人物故者を偲び
み霊のめい福を祈りここに碑を建立する

昭和52年8月吉日

南洋群島帰還者会
パラオ帰還者有志
長野県パラオ諸島戦没者慰霊碑

昭和59年4月吉日建之
長野県パラオ会
パラオさくら会協賛

お参りを終え、次に向う・・・・

島内を団長の運転で走り回るのだが・・・・
ここで一つの問題がある。
それは、団長は運転しながら何かを見つけると、すぐにその場でブレーキを踏んで車を急停車するのである。(大汗)

アメリカ大使館前・・・・
門に何か書いてある・・・
「ありゃぁ、何だ?何て書いてあるんだ?」と急停車!
後続の車に追突されそうになる。
後部座席に乗っているのは私と“ヤナギサワさん”・・・・
後から追突されて真っ先に被害を受けるのは我々である。
しかも、大使館の門の真ん前に急停車したのだから、警備員が注目するのは当然!
「出して!車を早く出して!行って!行って!」と私。
「李下に冠を正さず」という言葉を知らないのだろうか?(汗)

今月は9月である・・・・
あの“9・11”のテロがあった時期である。
どこの国のアメリカ大使館も神経をとがらせているという情報を得ている。
そういう時に、大使館の真ん前に4人乗りの車が急停車したら・・・・どんな誤解を受けるかわかったもんじゃない!
「大使館の門の真ん前に車を停めちゃ駄目ですよ!」
「ふ〜ん・・・で・・・なんて書いてあったの?」
「中に入る時は身分証明書を提示してくれって書いてあっただけです!」
「あ・・・そう・・・」

しばらく走って・・・・またもや急停車!
後ろを振り返ったら・・・トレーラーがクラクションを鳴らして突っ込んでくる!!!
ギョェ〜!!!
「出して!止まらないで!早く出して!早く!早く!」
しかし、解っているのか解っていないのか・・・団長は悠然としている・・・
「う〜ん・・・あれは何だ?」・・・と、よそ見をしているのである。
スレスレでトレーラーがかわしてくれた。
ペリリュー島では滅多に車が走っていないからいいが、ここコロール島ではそれなりに車が走っているのである。
しかし・・・こんな調子の運転を日本でもしているのだろうか?
恐るべし・・・団長・・・・
寿命が10年どころじゃない、20年は縮まった・・・(涙)

次に向かったところは、日本軍の戦車などが置いてある場所だという。
その場所に行ったら・・・あった!
特二式内火艇と呼ばれる日本軍の水陸両用戦車。
建物の残骸は、どうも日本軍の通信施設だったらしい。
奥の方にも25ミリ対空機銃などもあるようである。
さっそく車から降りて写真を撮っていたら、敷地の奥から現地人がやって来て何やら文句を言っている。
話を聞いたら、無断立ち入り禁止だそうで、写真撮影も禁止だという。
「看板に書いてあるだろう!」と言われて、ようやく気がついた。
「オ〜!アイムソ〜リー!」

話によると、入場券が必要とのこと。
その券は空港内で買うのだという・・・・
そんなアホな・・・
ここからわざわざ空港まで行ってなどいられない。
カメラを取り上げられるんじゃないかという剣幕だったが事なきを得た。
じゃぁ、帰ろうということで退散。
団長の話によれば、以前は、お金なんか取られることもなく無料で自由に見学できたという。

次に向かったのは、ペリリュー島へ向う増援部隊が出発した場所だという。
ちょうど橋が架かっているあたりから出発したのではないかという。

周囲を散策してみたが、これといった戦跡はない。
地形的に1000名ほどが集まって出陣できなくはない広さの場所ではある。
また、すぐ脇は入り江になって船を留める事が出来る地形・・・・
ここなら大発に乗りこんで・・・ということは可能だろう。
ここが出発地だという証拠は何も残っていないが、「出発地(推定)」ということにする。

次に「エピソン博物館」を見学する。
日本で言うところの郷土博物館といったところだろうか。
戦時中のことに関する展示も僅かだがあった。

ETPISON MUSEUM
The town of Koror in the 1930s during the Japanese occupation.
By 1939 Palau became a closed military area.

(1930年代のコロール島の町の写真)
The Japanese oil tanker Iro Maru on fire in 1944
after being hit by a US sub torpedo and US planes.

(炎上する日本海軍の給油艦「石廊いろう丸」の写真)
戦時中の日本軍に関する展示コーナー

それほど大きな博物館ではないので、あっという間に見学は終了。
2階はミュージアムショップになっていたので、そこで本を買う。
ペリリュー戦に関する本が欲しかったが、残念ながら置いてはなかった。
そういう本は発刊されていないのだろうか?
取りあえず、戦時中の事が少し書かれているように思える(英語なのでよくわからないが・・・笑)本を買うことにした。

ミュージアム・ショップ

で・・・団長と“ヤナギサワさん”は何が面白いのか、じっくりと見学しているらしく、まだ展示場にいる。
私は外に一旦出てタバコを吸う。
副団長は、興味がないということで先にホテルに徒歩で向かったらしい。
この地方の民族(民俗)や文化とかには全く興味のない私にとっては10分も見れば終わってしまうような内容なのだが・・・
団長一行は、なかなか博物館から出てこない。(汗)
不思議なことに団長は時間には几帳面で、5時にならないとホテルには行こうとはしないらしい。
早めにホテルにチェックインしてもいいと思うのだが・・・・
それまで時間を潰す気らしい。
1時間近く粘られ・・・ようやく移動ということになった。
待つというのも大変である。(苦笑)

やっとホテルに向うのかなと思ったら・・・
突然、思いついたらしく「T(ティー)ドック」へ行こう」と団長が言う。
「Tドック」ってなんだろ?
行ってみたら波止場のような場所。
日本海軍が使用していたそうで、「海軍が作ったプール」がこれだと団長が言う。

確かに、プールと言われればプールのような気もするが・・・
ここにプールを作る必要性などがあったのだろうか?

ここは日本海軍の水上機基地だと団長が話していたが、地元の青年に尋ねてみたら、水上機基地ではないという。
まぁ、どちらが正しいかはわからないが、いずれにせよ日本軍がいた場所であることは確からしい。

水上機用の滑り台のようなスロープもあったが・・・
奥行きがない・・・・
とても水上機用とは思えない。
となると・・・何に使われたスロープなんだろう?

「Tドック」を見学後、ようやくホテルに向かい・・・・チェックイン。

今晩の夕食は市内にある日本レストランで・・・・
お世話になっている地元の人を招いての食事会だという。
どうもペリリュー島の酋長の弟さん家族らしい。
会話は当然、全て英語なので大変である。(笑)
団長の通訳は、若い副団長が当ったが、大変である。
とにかく言いたいことを言うのは構わないが、「おい、通訳しろ」であるから、難しい日本語を使われたのでは、英語に訳せない。(笑)
いやはや・・・ご苦労様である。

夕食のメニューは各自好きなもの・・・というので、私はカツ丼を頼んだ。
まさかパラオでカツ丼が食べられるとは思ってもみなかった!(大喜)

お招きしたご家族はお父さん、お母さん、娘さん2人の4名。
本来は夕食会であるから、定食か何かにすればいいのだろうが・・・・私は・・・どんぶり!(笑)
私がカツ丼が好物だと話したら、お父さんが「私も好物なんですよ」とのこと。
ここから話が弾んじゃった!(笑)
上の娘さんはワゴン車を運転して港まで迎えに来てくれた方。
下の娘さんは高校生とのことで、将来は日本に留学したいとのこと。
ならば、是非、我が母校へ来給え!・・・・という話で、この子とも話が盛り上がった。
結構、何とかかんとか英語が通じたので助かったが・・・
やっぱり勉強不足は否めないなぁ〜(涙)
細かい話が出来ない・・・

お父さんからは、今度、私が一人でパラオに来ることがあっても、家族でサポートしてやるから安心しろと言われる。
いやぁ〜ありがたいお言葉である。
恐縮、恐縮。


  


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