西郷従道 さいごう・つぐみち(じゅうどう)

天保14年(1843年)5月4日〜明治35年(1902年)7月18日


”従道”を一般的には「つぐみち」と読んでいるが、正しくは「じゅうどう」。
西郷隆盛の実弟。
寺田屋騒動・薩英戦争・禁門の変・戊辰戦争に参加。
維新後に兵部少輔・陸軍大輔を歴任。
台湾蕃地事務都督として台湾出兵を指揮。
明治11年(1878年)参議となり、以後、文部・農商務・陸軍の各卿を兼務。
明治17年(1884年)参議兼海軍卿となり海軍育成に力をいれる。
第一次伊藤博文内閣(1885年〜1888年)の海相、第一次山県有朋内閣(1889年〜1891年)では内相を務める。
明治25年(1892年)品川弥二郎と国民協会を結成したが、翌年第二次伊藤内閣(1892年〜1896年)の海相となり退会。
明治27年(1894年)陸軍中将から海軍大将に昇進。
明治31年(1898年)元帥。
第二次山県内閣(1898年〜1900年)では内相。
明治35年(1902年)胃癌のため東京目黒の自宅で没す。60歳。


誕生の地碑


誕生の地

(鹿児島市・西郷隆盛誕生地)

右端:『西郷従道誕生之地』碑
中央:『西郷隆盛君誕生之地』碑



(平成19年3月30日)
西郷従道邸庭園庭石



西郷従道邸庭園跡庭石

(鹿児島市・西郷隆盛誕生地)





(平成19年3月30日)

西郷従道邸庭園跡庭石

【寄贈までの経緯】
この庭石は、東京都目黒区の西郷従道邸庭園跡地が公園として整備されることにともない、平成12年12月、目黒区から、西郷従道にゆかりのある鹿児島市に寄贈されました。
石は、伊豆石、伊予の石、紀州の青石の3種です。

【西郷従道について】
西郷隆盛の弟として、天保14(1843)年に生まれました。
戊辰戦争に参加し、維新後は陸軍をつくることに力を尽くし、のち海軍に移り、海軍大臣、内務大臣をつとめました。
明治35(1902)年で没。(60歳)

【旧西郷従道邸庭園について】
明治7(1874)年、従道は、兄隆盛の隠棲所を営む目的で、目黒の地所を購入しました。
西南戦争による隆盛の死によって、当初の目的は果たせませんでしたが、明治33(1900)年までは西郷家の別邸として、それ以後昭和16(1941)年までは、本邸として使用されました。
庭園は、大きな池と斜面の滝を中心とした広大なもので、明治期を代表する庭園として高い評価をうけていました。

(説明板より)

西郷隆盛誕生地



西郷隆盛誕生地(=西郷従道誕生地)

(鹿児島市加治屋町4)





(平成19年3月30日再訪問)

西郷山公園



西郷山公園

(東京都目黒区)




(平成17年10月26日)

西郷山の由来

この付近は、明治のはじめ西郷従道が、郷里鹿児島に帰った兄隆盛の再起を願って、入手したものであります。
西郷隆盛が没した後、この地に従道が別邸を造りました。
当時は、約6万平方米の敷地に、洋館・和館などが建てられ、池のある回遊式の庭園は、付近随一の名園といわれ、いつしか人々は、この一帯を「西郷山」と呼ぶようになりました。
この旧西郷邸の跡地の一部に、目黒区が公園を造ることを伝え聞いた鹿児島県や県下14市から、西郷さんゆかりの地であるこの公園に、ぜひ記念樹を植えたいとして、約2百本の樹木が寄贈されました。
これらは、当公園の北側に鹿児島記念樹コーナーとして植樹されております。
この公園の建設に際し、ご協力いただきました関係各位に深く感謝の意を表すると共に、多くの人びとが利用されるよう願うものであります。

寄贈県市名
鹿児島県 鹿児島市 川内市 鹿屋市 枕崎市 串木野市 阿久根市 名瀬市 出水市 大口市 指宿市 加世田市 国分市 西之表市 垂水市

昭和56年5月吉日
目黒区長 塚本俊雄

(碑文より)

従道邸の古写真 当時の古写真(説明板より)


【一般人の叙勲第1号】

勲章制度のはじまりは、明治8年4月10日。
最初の叙勲は皇族に対してで、明治8年12月31日。
一般人の第1号は、明治9年2月23日に、台湾出兵に対して勲1等を授けられた西郷従道。

(参考:松本逸也 著 『幕末漂流』 1993年4月初版発行 (株)人間と歴史社)

(令和元年10月19日 追記)




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